成長の礎、人材育成に挑戦 モザンビークでの教育ボランティア


アフリカ開発特集

深刻な中学・高校不足
NGOが学校建設

 アフリカの将来性の一つがマン・パワーだ。その潜在力を生かすには教育が不可欠。国連の持続可能な開発目標(SDGs)に協力するNGO団体で活動している日本人、宝山晶子さんは今年、モザンビークの第2の都市ベイラで学校建設ボランティアを始めて25年になる。

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水谷章・前日本大使(後列中央)が学校を訪問し、教師や高校2年生と記念撮影

 宝山さんたちは、まず中学校建設を進めた。小学校は同国政府が諸外国の援助で着工していた。現地入りした当時は、モザンビーク解放戦線(FRELIMO)と同抵抗運動(RENAMO)との内戦後間もなく、住民の半数は家族に戦闘による犠牲者や負傷者がいたという。手始めに視察した公立中学校は「戦争で疲弊し、椅子や机はなく、壁は政治的落書きだらけ。壊れたコンクリートの床に生徒が直に座っていた」。

 粗末な藁(わら)ぶき屋根の私立「モザンビーク太陽中学校」が完成したのは1995年。教育省の仮認可を受け、生徒44人で出発した。正式認可の条件は3年以内に鉄筋コンクリートの校舎を建てること。これを満たす5教室の校舎を3年後に建て、晴れて認可校となり、午前午後2交代で500人に授業を施した。

 しかし、資金繰りはまさに「自転車操業」で、教師は近くの公立中学校からパートタイムで雇っていたという。

 中学校開校後、次の難題に突き当たった。「3年間の学業を終えて卒業しても、現地に高校がなかった」のだ。そこで高校の教育課程も併せて、2001年から同校は中高一貫校の認可を受けた。すると「長い間、高校の開校を待っていた優秀な生徒たちが集ってきた」という。高校がないままなら埋もれたかもしれない若き人材だった。

ルイス・ヌザイアさん

現地のゼネラル・エレクトリック社で働く卒業生のルイス・ヌザイアさん

 高校を開設すると生徒の強い要望を受け図書館を増設。同国と同じポルトガル語圏のブラジルから参考書を取り寄せた。宝山さんが「朝3時からコピー機の前に立つのが私の仕事だった」と回想するほど生徒は熱心に学んだ。首都マプトにある最難関のエドアルド・モンドラーネ大学を目指す優秀な生徒も現れるようになった。

 しかし、今度は学費の壁が立ちはだかる。「彼らの殆(ほとん)どは非常に貧しかった」のだ。そこで奨学金制度を立ち上げ、これまで数十名が最難関の同大学に進学できた。

 彼らは現在、30代半ばに差し掛かり、社会で活躍している。その一人、米ゼネラル・エレクトリック社モザンビーク事務所に勤務しているルイス・ヌザイアさんは、「私は貧困家庭で育った。父は一夫多妻で、狭い家の庭にはもう一つの家庭があった。異母兄弟を入れると、私は8人兄弟だった。父はトラックの運転手で、その安い給料で11人が生活しなければならなかった。もしNGOの学校がなかったなら、自分の人生がどうなっていたか、考えるだけでもぞっとする」と、感想を宝山さんに寄せた。これまで同校で延べ1万1000人が学び、600人以上が国立大に合格した。

 ただし、アフリカでの活動は厳しかったという。「どういう苦労があったかと問われれば、まず治安面と病気を挙げたい。過去4回、複数の強盗に家で襲われた。すでに頭部を数回縫っている。病気ではマラリア、サルモネラ、寄生虫病などを経験した」。制度・習慣の違いもある。「学校制度も日本との違いが大きく、理解するのに十数年を要した」ほどだった。

 「経済大国の恩恵を受けた日本人として、アフリカの人々に尽くすことは、人として当然のことだと思う」と宝山さんは言う。アフリカ諸国では、依然、中・高等教育の不備から僅(わず)かな大卒者と一般庶民との学力格差は著しく、SDGs達成に向けた課題になっている。

(取材協力=宝山晶子)