中国に「道徳空白」の難題
台湾に吹いた蔡英文旋風(下)
「富強有徳」志向へ台湾の役割
今回、立法院選挙で注目を浴びたのは、弟を愛した熱血の姉・洪慈庸氏だ。弟は兵役終了日を直前に控えながら隊内でいじめに遭遇し、死亡する。その真相究明を求め、軍を前に徹底糾弾した。通常、強いものには巻かれろ式で、泣き寝入りになるような事件だった。だが、熱血の姉・洪慈庸氏は一歩も引くことなく、泣く子も黙る軍に立ち向かっていった。新聞やテレビなどマスコミも、これを大々的に取り上げ、洪慈庸氏は一躍、時代のヒロインになったのだ。
その洪慈庸氏を第3勢力の新政党「時代力量」が立法委員候補として白羽の矢を立て、圧勝して当選した。
その洪慈庸氏と民進党の蔡英文氏が重なって見える。国民党候補の朱立倫氏に圧勝した蔡氏も、圧倒的武力を有する中国人民解放軍を前に、台湾そのものを守らなくてはならない立場だからだ。台湾の人々の、その期待が今回の選挙で地滑り的勝利をもたらすことになったのではないか。
東アジアでポピュラーなアニメの「ドラえもん」に例えれば、中国はジャイアンだ。体(人口、国土)が大きく、一目置かれている。だが無骨で荒っぽい(人民解放軍)。危機に遭遇する台湾のび太に、助け舟を出すドラえもんは米国だろう。日本はさしずめしずかちゃんかも知れない。
とにかく、のび太にすれば、ジャイアンをなだめながら、距離を保ちつつ現状維持を図るしかないのが現状だ。
その意味で蔡氏の次期総統就任は期待される。習近平氏が台湾の専門家なら、蔡氏も中国の専門家だ。蔡氏は李登輝時代や陳水扁時代に中国問題を扱う大陸委員会で活躍した。
台湾を知悉(ちしつ)している習氏と中国を知り尽くしている蔡氏が、これからどういう駆け引きをするのか注目される。
なお中国には、道徳の空白問題という最後の難題が立ちはだかっている。北京や上海で驚くのは、わずか30年で大変革を遂げた天空を突く摩天楼群だ。上海の20階建て以上のビルは3000棟を越し、東京を追い越した。高速鉄道や国境まで延びた高速道路のインフラも充実している。
だが、資本主義はハードだけでは機能せず、ハートが必要だ。わが国が明治以後、近代化に成功したのは歴史的に培われた儒教や武士道などに基づく内的な資産があったからだ。これは文化のコアに当たるもので、これがなければいくら、外的に立派な建築物やインフラを整備したとしても、「仏を作って魂を入れず」の致命的な愚を冒すことになり、強者が弱者を食い物にするジャングル社会に堕しかねない。
残念ながら中国には、恩師や隣人を売らなければ生き残れなかった文革時代や、拝金主義に犯された改革開放路線で、その内的資産が枯渇している。
しかし、台湾には中国が必要とする内的価値が生きている。台湾の人々は共同体の一員として、公共物を個より優先するし、隣人への慈しみも忘れることはない。
その「台湾の価値」に中国が気づけば、中国を内側から変えていくことが可能となる。中国が「富強国家」を目指すのは、国家の生理現象のようなものだろう。だが、21世紀の今日、帝国主義的富強国家では世界に通用することはない。もし中国がこれに気づき、「富強有徳国家」をゴールに据えるようだと、かけがえの無い「台湾の価値」に気づくはずだ。蔡氏が中国にそれを知らしめることができれば、台湾は中国に対しカードを手に入れることができる。
(池永達夫、写真も)