同性カップル「生産性」、杉田氏の方が常識的だ
同性カップルに「生産性」がないとした月刊誌への寄稿をめぐり、杉田水脈(みお)衆院議員(自民党)に対するバッシングが続いている。
性的少数者の権利拡大を絶対善とし、反対論を封殺するLGBT(性的少数者)至上主義の広がりと、その危険を感じる。
バッシングが広がる
寄稿の中で、特に問題となっているのは次の部分だ。「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」
冷静に読めば分かるように「生産性がない」とは同性カップルからは子供が生まれないという意味だ。LGBTであること自体に生産性がないということを言っているのではない。
つまり、有性生殖という生物学上の事実を指摘し、それを前提にした「夫婦」の関係と、自然には子供ができない同性カップルの関係を、行政が同等に扱おうとする動きがあることに疑問を提起したのだ。
子供を生むことを「生産性」という経済用語で言い表すことが適切かどうかという点については議論があってもいい。寄稿にはもう少し丁寧に説明すべきだったと思われる部分もある。
たとえそうであっても、家族法の専門家たちが子供を生み、育てることを「再生産(リプロダクション)」という言葉を使って言い表し、その機能については「再生産機能」と呼んでいることを考慮すれば、杉田氏に対するバッシングは異様である。
毎日新聞は「性的少数者のことを『生産性がない』などと主張し、厳しい批判を受けた」(8月6日付社説)と書いた。武井俊輔衆院議員(自民党)はツイッターで「一部の特殊な犯罪者やテロリストを除けば、生産性のない人間などいません。劣情を煽るのは政治ではなくて単なるヘイト」と批判したが、論旨を無視した言葉狩りではないか。
卑劣なレッテル貼りもある。杉田氏は寄稿で「もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます」と述べているにもかかわらず、朝日新聞は「歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか」(7月25日付社説)とした。「ナチスの優生思想」という言葉を使って攻撃した国会議員もいる。劣情を煽っているのはどちらなのか、冷静に判断すべきである。
多様性を認める社会とは、違った意見に耳を傾ける寛容な社会である。LGBT支援運動も多様性を尊重する社会の実現を標榜(ひょうぼう)している。その大義名分と真逆の排他的姿勢を容認することはできない。
「婚姻障害」除去の危険性
LGBT支援派と反対派の主張の違いを突き詰めれば、子供が生まれる可能性のある男女の関係を、他の関係よりも特別な関係、つまり「夫婦」として保護する現在の婚姻制度を続けるのか、それとも、“性的多様性”を前提に、「同性婚」をはじめ民法が現在設ける「婚姻障害」を取り除くのか、ということに行き着く。そこには「近親婚」の是非も入るであろう。その危険性を指摘した杉田氏の方がむしろ常識的なのである。