西欧文明の神髄伝えた中村正直

加藤 隆名寄市立大学教授 加藤 隆

英で自主自律の精神学ぶ
女性の教養の高さにも注目

 中村正直は号を敬宇という。天保3(1832)年に生まれ、明治24(91)年に没している。江戸時代の儒学の本山であった昌平黌(しょうへいこう)で秀才の名をほしいままにしたエリートである。彼が泰平の時代に生きたならば、後世に大儒学者として名をとどめたように思う。しかし、時代は彼を昌平黌にとどめず、世界に引っ張り出し、日本人の心を燎原(りょうげん)の火のように燃やす人物へと導いていった。

 維新直前の慶応2年、正直は幕命を受け12人の留学生の監督役として英国に派遣される。当然のことながら強烈なカルチャーショックを受けた。渡英前、彼は漢籍から得た情報によって英国人は科学や技術面では優れるが、精神や道徳面では劣ると思い込んでいた。ところが、実際に自分の目で見た英国社会は、道義の面でも東洋の水準を超える立派な社会であったのだ。

 そして、正直は熱心に英国社会と英国人を観察した結果、高い道徳水準を支えているのは、自主自律の精神、キリスト教の信仰、それに女性の教養の高さであると確信した。いずれも日本社会に欠けていることだったのである。こうして、彼の旧約とも言うべき「儒学と蘭学」の素養が、英国との邂逅(かいこう)という触媒を通じて新約に変容していくのである。このことは彼のその後の思想に決定的な影響を与える。

 しかも、時代は大きな転換点を迎えていた。在英1年余りで幕府の大政奉還を知り、留学生一行は学半ばに急遽(きゅうきょ)帰国することになるのである。彼は駿遠70万石に転封を命じられた徳川家達(いえさと)に仕えるために駿河府中(静岡)に居を移す。6000人といわれた無禄移住の旧幕臣の生活は困窮を極めたといわれる。

 ところで、先に正直が英国社会で確信したことを三つ(自主自律の精神、キリスト教の信仰、女性の教養の高さ)で示した。帰国後の正直がそれをどのように自身の内に止揚させ、社会に具現していったのかを以下にまとめたい。

 第一の「自主自律の精神」である。正直は離英の際に友人のフリーランドからサミュエル・スマイルズ著の『Self-Help』を贈られたが、帰国の船中で繰り返し読んで深い感銘を受けた。彼は静岡でこの書を翻訳し、周囲に勧められて明治3年から小刻みに出版している。『西国立志編』と題された粗末な木版半紙本ではあったが、爆発的に売れて版を重ねた。時代がこの書物を必要としていたのである。「天は自ら助くる者を助く」という冒頭の一句は、日本人の精神の近代化に大きな影響を与えることになる。

 第二の「キリスト教の信仰」である。彼は帰国後まもなくの明治元年に「敬天愛人説」をまとめている。「敬天愛人」というと西郷隆盛を思い出すが、実は中村正直が使い始めた言葉である。彼は英国人を観察して記している。「天を敬し、人を愛するの誠意に原(もと)づき、益々以って彼土(かのと)文教昌明なり」と。また、キリスト教に向かう導線として、当時の中国(清)で大きな共感を得ていた『天道溯原』(キリスト教を儒教的観点から擁護した書物)が幕末には日本に相当入っており、正直も含めた知識階級が精読していた影響も大きい。このように、儒教のエリート教育を受けて育った正直は、キリスト教の「唯一神」思想を儒教の「天」から切り離すことができないとの確信に至るのである。さらには、禁制の高札が取り払われて切支丹が黙認された明治6年以前から、E・W・クラークなどの宣教師と交流し、聖書の講読会を開いている。そして、明治7年にはカックラン牧師から洗礼を受けるのである。

 第三の「女性の教養の高さ」についてである。明六雑誌には明治8年に行われた正直の二つの演説が収録されている。その一つは、「人民ノ性質ヲ改造スル説」で、維新による制度改革にしても人民自身が変わらなければ実が挙がらないと述べ、人民の性質を変えるには芸術(知識の意)と教法によらなければならないとして宗教の重要性を主張している。

 もう一つは、「善良ナル母ヲ作ル説」で、人民を開明の域に進ませるのは母の力だと述べ、女子教育の重要性を説いている。つまり、「人民ノ性質ヲ改造スル」には、「善良ナル母ヲ作ル」ことが近道であるという認識があったのだ。そして、このような認識の根底には、英国で経験した女性たちの知識と見識の高さと、正直が若いころに暗殺されかけた時に母親が身を挺して彼を守った度量と見識への尊敬が息づいている。

 こうして、彼はこの年に東京女子師範学校の初代摂理(校長)となり、講義ではサミュエル・スマイルズの伝記を生き生きと講じたと記されている。さらに、翌年には同師範学校の敷地内に日本初の幼稚園も開設しており、ここにも正直の教育観が示されている。

 さて、明治維新という日本の大転換期は、和魂洋才と富国強兵だけでなく、西欧文明の基礎となる思想の神髄を解明して、我がものにしようという努力に満ちていた。中村正直はその代表的人物の一人である。彼個人の信仰は生涯の中で揺れ動くこともあったが、かえってそこにピューリタンのような素朴なまでの真剣さを感じる。このような日本人がいたことを誇りに思うのである。

(かとう・たかし)