米ソ対話開いた陰の工作者
日本対外文化協会理事 中澤 孝之
国交80年にマトロック氏
レーガン政権の快挙を回顧
今年はリンカーンのゲティズバーグ演説から150年、ケネディ暗殺から50周年に当たり、それぞれ関連記事を目にする。節目の年と言えば、米ソ(露)国交樹立80周年でもあるが、この事実はあまり注目されない。
1917年のロシア革命で成立したソビエト政権に対する干渉戦争で、米国のシベリア出兵もあって、米ソ関係は凍りついていた。しかし、民主党のフランクリン・ルーズベルトが33年、第32代大統領に就任すると、共和党などの反対を押し切ってソ連を承認、同年11月17日に国交が樹立された。モスクワではこのほど国交樹立を記念するささやかな行事が催された。米国から参加した著名人の中にジャック・F・マトロック・Jr.氏(84)の名前があった。
私事で恐縮だが、「ソ連解体の原因」を米側から検証する中で、マトロック氏の存在を知り、代表的な著作をネットで購入した。「帝国の検視」(95年)、「レーガンとゴルバチョフ」(04)、「超大国の幻想」(10年)の3冊。レーガン時代の米国の対ソ政策の裏側を知るうえで極めて有益な資料である。マトロック氏は米国有数の良識あるキャリア外交官であった。61~63年、74~78年、81年モスクワの大使館で働いた。81~83年は駐チェコスロバキア大使として活躍。この間、81年のポーランド独立自主労組「連帯」騒動の際、ソ連はポーランドに軍事侵攻しないと西側で最初に予告したことで知られる。その後、国務省に戻って、国家安全保障会議(NSC)に加わり、レーガン大統領の対ソ政策顧問となった。
ゴルバチョフ時代の87年4月から91年8月までマトロック氏は駐ソ大使を務めた。任務の終わり近くに、ソ連の運命を決定的に変えた保守派の反ゴルバチョフ・クーデター計画をいち早く察知し、ブッシュ大統領に報告したエピソードもある。約11年間の貴重な滞ソ経験をもった。国務省退官後は教育界、学界に転身し、大学で国際関係や外交問題を教えている。2013年には、19世紀のロシアのリアリズム作家ニコライ・レスコフの作品を翻訳したことによりコロンビア大学で学位を取得した。
このマトロック氏のインタビュー記事がロシアの有力紙「モスクワ・タイムズ」11月15日付(ネット)に掲載された。興味深い内容なので、その一部を紹介したい。インタビュアーのジャスティン・リフランダー氏はもともと米国のジャーナリストで、87年からモスクワに移住。2000年にロシアに帰化した。同氏はマトロック氏について次のように書いている。
「マトロック氏は、鉄のカーテンを引きずり下ろすミッションに従事するためレーガンおよびそのチームと一緒に働いた。彼はその目的を達成するための言葉を知っていた。『我々は使う言葉に気をつけた。鉄のカーテンを引きずり下ろそうなどと言わなかった。我々が言ったのは“より良い仕事の関係を発展させよう”だった』とマトロック氏は語る。それは情報の好ましい流れをもたらすきっかけのための遠回しの表現だった」
周知のように、レーガンは88年6月、夫人とともに「悪の帝国」ソ連の首都に足を踏み入れ、クレムリンでゴルバチョフと親密に会談した。大統領就任時にはだれも予想だにしなかった歴史的な快挙であった。駐ソ大使マトロック氏の陰の工作が奏効したようだ。また、レーガンは一般的にタカ派のイメージが強いが、実は核兵器廃絶への強い信念を抱いていたことが同氏の口から語られた。シュルツ元国務長官の力量も彼は高く買っていた。
問い「レーガンとゴルバチョフが一緒に仕事ができたのには、指導者としての二人のスタイルのどういう要件が働いたのでしょうか?」
答え「レーガンは役者(映画俳優)としてのスキルにより、自分の相手がどんな役を演じているか理解し、共通の言葉を見つける強い願望とユニークな能力をもっていた。人権尊重を重視させる最良の方法は個人外交だと彼は信じていた。彼は大統領就任直後の日記に、『我々(カーター前政権)の人権政策はあまりに明け透けだった。個人のチャンネルに絞る必要がある』と書いた。彼はソビエト政府に何かをするように直接要求するのを避けるべきだとの我々のコメントを練り直し、代わりに人権尊重を発展させるためどのような協力が可能かを話し合う対話の確立を模索した。レーガンとゴルバチョフの指導スタイルは、それぞれがトップを務める政治システムのように、全く異なっていた。しかし、彼らを近づけたのは、違いは違いとして、伝統的な政策に縛られることなく、核兵器への強烈な憎しみで結ばれているとの確信であった。二人は、軍事的に無益で、人類を破滅させ得るような兵器の根絶を目標とする軌道に世界を乗せたいと思っていた」
問い「あなたの印象に残った人はだれですか?」
答え「シュルツ元国務長官は政治的な障害を切り抜ける知恵と能力、大きく多様な組織をリードし、部下たちを一つのチームで働くよう鼓舞する能力のインスピレーションをもっていた。私はゴルバチョフにも素晴らしいインスピレーションを見ている。彼は自分の国を束縛から解き放ち、権力を保持するために武力を使わなかった人物だ。いつの日かロシア人たちはゴルバチョフの真の業績を理解し、相応(ふさわ)しい栄誉を与えるだろう」
(なかざわ・たかゆき)