交戦権否認は自衛権の否定

小山 常実大月短期大学名誉教授 小山 常実

ミニ国家相手でも勝てず
補給戦で日干しにされる日本

 憲法第9条1、2項をそのまま護持する安倍改憲構想が発表されて、2カ月以上が経過した。

 第9条1項は、侵略戦争を放棄したものであり、イタリア、ハンガリー、韓国、フィリピンなどの憲法にも存在し、世界的に特殊なものではない。これに対して2項は、世界に類例のないものである。2項の趣旨は、戦力の放棄、交戦権の否認の2ポイントにまとめられる。この2点のうち、戦力の放棄に関しては、自衛権は放棄できない以上、自衛のための戦力は持てるのではないか、自衛隊は戦力か否か、自衛隊は合憲か否か、といった形で議論されてきた。しかし、交戦権の否認という問題については、ほとんど議論されてこなかった。私自身も、交戦権=交戦国として持つ諸権利の問題について深く追求したことはなかった。

 ところが、安倍構想を目の前にして、この問題が気になりだした。戦後の文献をいろいろ調査研究してみてもよく分からなかったので、戦前の戦時国際法学の第一人者であった立作太郎著『戦時国際法論』(昭和19年、日本評論社)を読み直してみた。そして、交戦権を持つ外国と、交戦権を否定された日本国家とが戦争した場合には、どういう戦いになるのか、どういう結果となるのか、考えてみた。

 戦闘自体に焦点を当ててみると、交戦権を放棄していない外国は、①自国の領土、領水および空中領域②敵国の領土、領水および空中領域③公海、無主の土地およびその上に位置する空中領域―三者全てを戦争区域として戦うことができる。これに対して、日本は交戦権を否定しているので、専守防衛の観点から、原則として①で戦うことができるだけである。従って、外国は、日本の領土内に入り込んで占領できるし、日本を全面的に屈服させるために首都東京を占領することもできる。これに対して、日本は、敵国領土に侵入できないから、敵国たる外国の首都を占領することもできず、相手方を降伏させることはできない。つまり、相手国がミニ国家であっても、日本の勝利はあり得ないのである。

 勝利できないのはよいとしても、問題なのは、いったん日本領土内に侵略軍が入り込んだ場合、交戦権を放棄した日本はなかなか撃退できないだろうことである。例えば、敵軍が上陸して自衛隊と1カ月も2カ月も睨(にら)みあう膠着(こうちゃく)状態になった場合、自衛隊は隙を見て突撃できるのであろうか。交戦権を否認した日本では、戦況が落ち着いてしまった場合における突撃は自衛行動とは言えないという理屈が十分成立するからである。

 また、今日では敵撃滅に最大の力を発揮する空爆のことを考えても、敵国は自由に日本に対する空爆を行えるのに対して、日本側はほとんど行えない。日本は、一定程度軍事力を備えた国家との戦いでは敗北必至であることに注目されたい。

 戦闘自体よりも過酷となるのが補給戦である。補給戦で重要なのは、海上であり、海戦である。海戦では、陸戦の場合と異なり、日本の敵国は公海上で自由に日本の商船を拿捕(だほ)し、その載貨とともに没収することができる。しかし、交戦権のない日本は、敵国商船を没収することはできない。

 また、相手国は、少なくとも宣戦布告して国際法上の戦争に持ち込めば、中立国商船を通じて資源物資が日本に渡らないようにするために、日本の港を戦時封鎖することもできる。相手国に一定程度の海軍力があれば、自由に日本に対する封鎖線を設定し、食糧も石油も日本に入っていかないようにすることができる。これに対して、日本側には戦時封鎖権は存在しないのである。結局、普通の中小国と長期戦で戦った場合、日本は必ず敗北する。どんなに優秀な自衛隊を持っていても、補給が効かない日本は、日干しにされ、戦わずして降参するしかなくなるであろう。

 ここまで考えてきて、なぜ、諸外国が第9条2項のような規定を採用しないのか、リアルに知ることができた。交戦権を持たない国家は、戦争では必ず敗北し、存亡の危機を迎える。つまり、交戦権の否認とは、自衛権を否定するのと同じことなのである。諸外国は、そのことを理解しているからこそ、第9条2項を模倣しないのである。

 2020年に東京オリンピックが終了し、21年に安倍首相が退陣すれば、尖閣有事などの危険性は格段に高まる。その時、日本が交戦権を行使できなければ、日本は国家消滅の危機を迎えることになろう。20年代初頭には、第9条2項を始末して交戦権を行使できる国家になっておく必要がある。ぜひとも、軍事や国際法、憲法の専門家には、交戦権否認の意味について考察され、議論を闘わされんことをお願いするものである。

(こやま・つねみ)