反ユダヤ騒動の意外な顛末

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

犯人は同胞、指導層困惑
白人極右は敵対から協力へ

 欧米のユダヤ人集住地区にはユダヤ地域センターという施設が地元ユダヤ人により運営されている。保育所・幼稚園等を併設しユダヤ系住民の共同体生活に便宜を提供しているのだ。同センターの内、全米30州、およそ80カ所が年初以来、2カ月以上にわたり爆破を予告する不快な脅迫電話に苦しめられてきたのだ。幸運にも爆発物は見つからず、単なる嫌がらせであったことが判明した。けれど一連の脅迫電話がユダヤ系住民に与えた心理的ダメージは大きかった。職員や児童の集団退避が繰り返され、日常業務を妨害されたからである。一連の事件は3月23日、米連邦捜査局(FBI)と連係したイスラエル警察サイバー犯罪捜査班が犯人を逮捕したことで幕を閉じた。

 ユダヤ関連施設を狙った脅迫の犯人は意外にもイスラエル在住で米・イスラエル二重国籍のユダヤ人少年(18)であったのだ。

 イスラエルでは男子は18歳から3年間の兵役義務が課されるが、少年は精神面の理由で兵役不適格者の扱いを受けていたのだ。その人物像は「不登校、自宅に引きこもりのコンピューターおたく」と言えそうだ。特技を悪用して通話の発信源と肉声を特定されぬためのソフトウエアを用い、インターネットを通じて脅迫電話をかけ続けていたのである。

 犯行動機は不明だが少年が一昨年、米ケネディ国際空港でデルタ航空機への爆破予告を行い緊急着陸事件を引き起こすなど、脅迫対象がユダヤとは無関係な施設にも及んでいるため、彼を「ユダヤ人の中に潜む反ユダヤ主義者」と見なすことは無理があるようだ。むしろ世間を困らすことに快感を感じる「愉快犯」と見なすべきであろう。犯人がユダヤ人であった事実にユダヤ社会の指導層は困惑の様を隠せない。少年がしでかした事件が昔ながらのユダヤ陰謀論に追い風を与えてしまう恐れがあるからだ。

 つまり「ユダヤ人は自らを迫害の犠牲者と主張することで世間の同情を集めながら、その実、裏では悪事を画策し世に害悪をなす輩(やから)」という陰謀論が述べるところの言説と今回の事件の構図が重なり合うところがあるということだ。

 面目を失ったのはリベラル派の諸新聞も同じだ。このたびの脅迫事件をトランプ政権発足と関連付け、責任の一端をトランプ大統領に転嫁する論調を報道してきたからだ。すなわちマイノリティー蔑視発言を繰り返すトランプが大統領に就任したことに勇気づけられた白人優越主義者たちによる憎悪犯罪(ヘイトクライム)の一部分として今回の事件を位置付けるという誤りを犯した点である。

 ユダヤ地域センターへの脅迫が続いたのと同じ時期、実はイスラム教施設への攻撃の方がよほど深刻化していたのだ。その被害ははるかに大きく、年初の3カ月間で米国内のイスラム教寺院ではテキサス州ビクトリアをはじめ4カ所が放火され焼失被害を受けている(ちなみに同時期、ユダヤ教施設では放火被害は無い)。

 また3月には頭にターバンを着用していたため、イスラム教徒と間違われたシーク教徒のインド系男性がシアトル近郊の自宅前で銃撃を受け負傷するという痛ましい事件も発生している。同じ宗教的少数派といえどもイスラム教徒とユダヤ教徒ではアメリカ社会における認容度は随分異なるのだ。扱いが低いイスラム教徒と比べ、ユダヤ系は歴史的に米支配層を形成してきた白人プロテスタントと変わらぬ待遇を既に享受していると言っても過言ではない。

 その最も分かりやすい証拠は昨年、大統領の座を争った2人の候補、トランプ、クリントンのいずれも娘婿はれっきとしたユダヤ教徒であったという点だ。トランプの愛娘などは結婚相手の立場を尊重し、正統派ユダヤ教に改宗するほどの配慮を示しているのだ。  極右の白人優越主義者がユダヤ人攻撃に熱中したのは昔の話だ。今や彼らの指導層の間では「共通の敵、イスラム原理主義の脅威に対抗するため、われわれはシオニスト系ユダヤ人と手を組まねばならぬ」という言説が流行し、ユダヤ系団体との同盟構築の動きが活発化しているのだ。けれど高齢の極右メンバーの中には勢力拡大のためユダヤと手を組むという柔軟な戦略的発想を受け入れられぬ者もいる。

 彼らの意識の中に長年染み込んだ反ユダヤ感情は一朝一夕にして簡単には払拭(ふっしょく)できないからだ。だからこそ孤立した高齢の単独犯による突発的なユダヤ人攻撃が時たま北米では発生するのだ。最近では2014年にもカンザスシティー市郊外のユダヤ地域センター前で2人のユダヤ人が白人優越主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の元団員である73歳の白人により銃撃され命を落としている。保安警備が極めて厳重なユダヤ教会堂(シナゴーグ)と比べ比較的手薄な地域センターは高齢の単独犯にとり手頃な標的だったと言えよう。白人極右の反ユダヤ主義はじり貧化しつつあるとはいえ、いまだ完全に消滅したわけではない。だからこそ今春の一連の爆破予告事件に際してもその関与が疑われたのである。反ユダヤ主義の歴史研究に携わる筆者としては、自分の研究対象の一つ「白人極右の反ユダヤ主義」が完全に過去の亡霊となる日を願う次第である。

(さとう・ただゆき)