聖徳太子を厩戸王に変えるな
「学び舎」化する指導要領
「家族」「地域社会」の復活を
2月14日、小中学校の学習指導要領案が出された。中学校歴史教科書と公民教科書の内容史研究者である筆者は、指導要領案のうち、中学校社会科の歴史的分野と公民的分野の内容を、現行の平成20(2008)年版指導要領と比較しながら読んでみた。
歴史的分野から読んでみたが、一番驚かされたのは、新聞報道の通り、聖徳太子の呼称が現行版の「聖徳太子」から「厩戸王(聖徳太子)」に改称されていることである。
しかし、新指導要領案の歴史的分野の「目標」の(3)に「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚、国家及び社会並びに文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物(傍線部は引用者)と現在に伝わる文化遺産を尊重しようとすることの大切さについての自覚などを深め」という文言がある。
傍線部に当てはまる歴史上の人物とは誰かと考えれば、真っ先に挙がる人物は聖徳太子である。言うまでもなく、聖徳太子は、中国との対等外交を目指し、日本の古代国家建設の方向付けをした人物である。そして、近代紙幣の表紙に最も多く登場した人物である。
明らかに、聖徳太子は、日本史上最も偉大な人物であり、近代日本にとっても極めて重要な人物である。その偉大さ、重要さは「厩戸王」では決して表すことはできない。「厩戸王」への転換は、間違いなく、歴史的分野の目標と反対の方向を目指し、「我が国の歴史に対する愛情」と「国民としての自覚」を破壊するものだと言えよう。
その点は、中学校の現行教科書の検定合格本における聖徳太子の呼称を調べると、一目瞭然である。8社中7社は全て、「聖徳太子」と表記している。対して、共産党系の歴史教員が作った「学び舎」だけが、「厩戸王子(聖徳太子)」と表記している。
「学び舎」は桁外れに自虐的、反日的な教科書であるが、事もあろうに、その「学び舎」の呼称を指導要領が模倣しようとしているのである。
「学び舎」化といえば、元寇の呼称に関する転換もそうだ。現行指導要領では「元寇」と表記しているが、改訂案では「モンゴルの襲来(元寇)」となっている。元寇からモンゴル襲来への転換とは何を意味しているであろうか。
元寇という名称は中華帝国による日本「侵略」という意味合いを持ち、中華帝国に対峙(たいじ)する国家意識を表すとともに、その対外膨張に対する警戒意識につながるものである。「モンゴルの襲来」への転換は、明らかに、この国家意識、警戒意識の解体を狙うものである。
現行教科書で元寇の呼称を調査すると、指導要領を守って「元寇」とするのは自由社・育鵬社・教育出版・清水書院の4社、「元の襲来」とするのが日本文教出版、「モンゴルの襲来(元寇)」とするのが東京書籍と帝国書院の2社、残る「学び舎」は「元寇」も「モンゴルの襲来」も使っていない。
「元寇」から「モンゴルの襲来」への転換とは、指導要領の「学び舎」化を意味するものである。恐らく、今回の指導要領改悪がなされれば、歴史教科書はますます「学び舎」化し、日本国家のアイデンティティーは破壊されていくであろう。
次に公民的分野を読んでみた。少し時代を振り返れば、平成18(2006)年、教育基本法が改正され、第2条「教育の目標」で「公共の精神」が謳(うた)われた。しかし、平成20年に改訂された指導要領には、「公共の精神」という言葉は、公民的分野の「目標」の箇所にさえも載っていなかった。これには本当に驚かされた。だが、さらに驚くことが発生した。20年版指導要領から、「家族」と「地域社会」という単語が消えたのである。
その結果、平成22年度検定の公民教科書では、多数派教科書から家族論も地域社会論も消えた。しかも多数派教科書は、「公共の精神」という言葉自体を記そうとはしなかった。26年度検定の現行公民教科書でも、同様の傾向が続いている。
今回の指導要領改訂案に対して、筆者は、ひそかに、「家族」および「地域社会」が復活し、地域社会の形成と関連の深い「公共の精神」が新たに記されることを期待した。だが、改訂案には三つの単語は全く記されていなかった。筆者はがっくりした。改訂案のような教育をしていたのでは、国家の基礎である家族と地域社会の解体が進行していくであろう。
読者諸氏に望む。文部科学省では、3月15日まで指導要領案に対するパブリック・コメントを受け付けるという。特に「聖徳太子を厩戸王に変えるな」「家族と地域社会を復活させよ」との声をお寄せいただきたい。
(こやま・つねみ)