満70歳を迎えた日本国憲法

浅野 和生平成国際大学教授 浅野 和生

実態とずれた「前文」

公布時、周辺に国民国家なし

 日本国憲法は満70歳を迎えた。日本国憲法の施行は1947年5月3日だが、公布は46年11月3日、文言が確定して国民に周知されたことをもって新憲法の誕生と考えたい。

 国会の内外で、ようやく憲法改正論が現実味を帯びてきた。自民党総裁の任期が3年3期に延長されると、安倍内閣の下での憲法改正実現の可能性も多少は増してくる。いずれにしても、満70年の間、一文字も変えられていない現行憲法が、世界や社会の現状に合わなくなっていることは間違いない。しかし、そもそも70年前は実態と合っていたのだろうか。東アジアの歴史から考えてみたい。

 周知の通り、日本国憲法前文(「前文」というのは、「本文」の冒頭部分である)には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。さて、ここでいう「諸国民」のうち、日本の「安全と生存」にとって特に重要なのは東アジア諸国の国民である。

 それでは、46年11月の東アジアの景色はどのようなものだっただろうか。

 台湾は、日本が敗戦によって統治権を放棄することになると45年9月2日、連合国一般命令第1号で、蒋介石の中華民国軍が接収することになった。翌年の6月には、中国大陸各地で国民党と共産党の内戦が激化した。このため46年末に中華民国憲法が制定されても、共産党支配地域では施行されなかった。

 46年の朝鮮半島は、北緯38度線を境に北はソ連が、南はアメリカが占領していた。大韓民国の独立は49年8月13日であり、朝鮮民主主義人民共和国はそれから少し遅れた9月9日独立なので、46年11月は被占領地域である。

 インドネシアでは、日本のポツダム宣言受諾から2日後、8月17日にスカルノらが独立宣言を発したが、再植民地化を目指すオランダ軍との間で軍事衝突となった。それから、およそ4年の戦いの末に独立したが、軍籍を離脱して民族独立勢力に加担した日本兵が約3000人といわれている。

 マレーシアは、日本の敗戦後にイギリスの植民地に戻っていた。マラヤ連邦が独立したのは57年のことである。ベトナムでは、日本敗戦前の45年3月にベトナム帝国、また敗戦後の8月17日にベトナム民主共和国の成立が宣言された。しかし、フランスが再植民地化を図り、46年11月にはインドシナ戦争が勃発した。

 一方、フィリピンは日本軍の撤退後にアメリカの植民地に戻ったが、46年7月4日に独立を果たしていた。しかし、ルソン島では、共産系勢力がゲリラ戦を仕掛け、政府軍による掃討戦が継続する。

 また、北方ではソ連が、世界を舞台にアメリカとの冷戦を始めつつあった。

 つまり、国内外での戦いこそが、東アジアの現実だった。

 あれから70年が経過したが、この間にどの国も国体が変わってしまった。周知の通り、ソ連では92年に共産党一党独裁体制が終わりを告げ、ロシア連邦と複数の共和国に分裂した。米ソの分割占領地だった朝鮮半島は、二つの国家に分断され、その後の朝鮮戦争を経て、緊張と対峙(たいじ)が続いている。中国は、国共内戦の末、共産党の中国と国民党の台湾への分断が固定化された。ベトナムは、その後のベトナム戦争の末、北ベトナムが南ベトナムを併合。インドネシア、マレーシアはそれぞれ紆余(うよ)曲折を経て独立国家となった。

 つまり、70年間、変わらずに信頼し続けられた国は、東アジアにはなかった。

 ところで、それら「諸国」の国民が、たとえ平和を愛する人々であったとしても、自由と民主がなければ、それは国家意思とはならない。

 毎年、世界各国について調査し、政治的自由度と社会的自由度を測定してきたFREEDOM HOUSEは、2016年版で各国自由度の総合評価を百点満点で示している。それによると、日本は96点で立派な自由国だが、台湾もイタリアと同点の89点、堂々たる自由な国である。一方、中国はわずかに16点だ。また韓国は83点だが、北朝鮮は、世界最低レベルの3点である。

 フィリピンとインドネシアは、65点で部分的に自由な国という評価だが、ベトナムは20点にとどまり、ロシアも、ベトナムと五十歩百歩の22点である。つまり、国民の意思で国家の行く末を決定できる国は少数派なのだ。

 以上の通り、日本国憲法公布当時の東アジアには、そもそも国民国家がほとんどなく、被占領地であるか、独立戦争中であるか、反共戦争中であるか、内部に武装闘争を抱えていた。つまり「平和を愛する諸国民」と言える状況にはほど遠かった。そしてたとえ国民が平和を愛していたとしても、それが国家意思に結び付く自由な国は、今日も稀(まれ)である。当時の東アジアの情勢と、この70年間の変遷に鑑みれば、容易なことで「諸国民の公正と信義に信頼」など、できはしないのである。

 日本国憲法の前文は、憲法が準拠する原則と国際認識を示した重要部分であるが、公布時から今日までの70年間、一貫して実態とずれているのである。このままでよいか。

(あさの・かずお)