平和を守れぬ憲法9条讃歌
脅威に囲まれている日本
現実教えぬ教育は国滅ぼす
独立国として憲法制定は、国民の意志により自主的に制定されるべきであり、独裁者の意思のみで、まして他国の強要によって制定されるべきではない。自衛権すら放棄しようとするかのような憲法前文及び戦争の放棄(9条第2項)は、「芦田修正」を無視すれば、保護国を自認するものである。共同通信世論調査(2月)によれば、新安保法に反対は減少したとはいえ、なお38・1%もある。これは、戦後教育による国民の「平和ボケ」に原因があるだろう。
「国民同胞」紙に山内健生拓殖大学客員教授は「いつまで続くのか、『憲法賛歌』」と題し、平成25年発行の実教出版「高校現代社会」を例示している。同教科書には「憲法前文で…諸国民の公正と信義に信頼してみずからの安全と生存を保持しようという決意を明らかにした。…この決意…を具体化した規定が、第九条である」「日本国憲法は、戦争放棄を確実なものとするために、軍備撤廃……を宣言している点でいっそう徹底した平和主義にたつ画期的なものといえる。そして、この点に、日本国憲法の平和主義の世界史的な意義を認めることができる」と、記述している。
あまりにも現実離れした過大評価である。東京でも一部の高校はこれを採用している。このような偏向教育は、かつて本欄で述べたが、敗戦初期の米国対日占領政策の方針による日本弱体化であり、憲法はもとより教育制度の改革にあたり、不当に国家観念と愛国心、国防を軽視した結果であろう
16歳高校生の「憲法改正し国を守れ」と題した投稿が産経紙「ひこばえ倶楽部」(3月14日付、若者の投稿欄)に掲載されたが、その要旨は次の通りである。「安倍首相が憲法改正を目指しているなか、憲法9条を守れば平和になると主張する人たちがいる。憲法で武力による威嚇や行使の放棄を掲げて平和を守れるなら、日本以外の国々もそうしているだろう。中国等の領海侵入、北朝鮮のミサイル発射も9条では阻止できなかった。それでも憲法で平和を守れると本気で考えている人は、紛争が続く中東地域に行き『9条』の精神を説け…。国を守るためには、憲法を改正し有事に備えることは不可欠と思う」。このように喝破している。教師はいかなる反応であろうか。
一方、同日付東京新聞は、紙面の約4分の1を割いて「誰のための改憲か」と題した長文の社説を掲載した。要旨は、自らを改憲政党と位置付ける自民党が改憲を目指す姿勢を示すことは当然だが、公布70年を迎える憲法は国民に定着し、共同通信による1月の世論調査では改憲に半数以上が反対である。憲法を変えなければ国民の平穏な暮らしが著しく脅かされる恐れがあり、改正すべしとの切実な声が国民から湧き上がるならまだしも、政治家の実績づくりや支持層に配慮するための改正では、将来に禍根を残す。政治家は「改正ありき」の姿勢を、厳に慎むべきである――というものだ。
言論の自由は尊重すべきである。しかし、マスメディアの政治批判は、公正であるべきである。「改憲」を理由に新安保法反対運動を支援する意図だろうか。たとえ他国から押し付けられた憲法であっても、内容によっては改憲を急ぐ必要がないこともあろう。日本国憲法が米国の日本占領基本戦略に基づき、短時日に作成され、強制されたことは、今や多くの国民も知っていよう。しかし、その内容が、前述するように、自国の自衛権を放棄し、非武装論の解釈も有力説となる条文のままでは、他国の保護を期待するような保護国になること、否、むしろ亡国への道であることを知っているだろうか。
約35年前まで防衛庁(当時)では、ソ連、中国、北朝鮮を「脅威」と言えば、上司に「潜在的脅威」と修正されていた。文芸春秋4月号は「不気味な軍靴の音が聞こえてくる 北朝鮮と中国を侮るな」と題し、両国の軍事力増強の実態及びその力を背景としての無法な領域の拡張、これに対する我が国の本当の軍事力について、陸・海・空の3元将官の対談を収録している。結論として、自衛隊は予想される種々の侵略への対抗力はあり、他国にも高く評価されているが、大規模侵略には、国民の支援、協力が不可欠である。隊員の国民の負託にこたえる覚悟は堅い。今、問うべきは国民の「自国を守る覚悟」であろう、と述べている。読者は、迫りくる脅威を痛感したであろう。
「備えあれば憂いなし」は安全保持の鉄則だが、制定当初、自衛権すら放棄したとした現憲法により、自主防衛(自力単独防衛ではない)の意思をも喪失した「平和ボケ」が蔓延したことを反省すべきである。
これを危機と認識し、自主防衛を企図して総理は改憲を急ぐのであろう。改憲の条件は厳しいが、現与党勢力はその条件に肉薄している。この好機を逸せず、前文及び9条2項の改正を達成し、次いで「美しき日本」への改正の道を開くとの意向であれば、それは祖国のためを思う一心というものだ。それを、党、まして自己の実績のためか――とは、失礼ながら“下種の勘繰り”と言えよう。マスメディアも国際情勢の激変及び各国の憲法を紹介し、過大な他力依存の是正に努力すべきである。
(たけだ・ごろう)






