ヒューマニズムの光と闇

加藤 隆名寄市立大学 加藤 隆

正義感から起こる惨劇

危うい自己神格化や特別化

 ヒューマニズム。我々日本人の耳に心地よい響きがある。「人間主義」「人道主義」などと訳される。大多数の国民が「無宗教」と自己を規定する国柄であれば、人間が何よりも中心を占め、国民主権が思考の出発として捉えられるヒューマニズムという価値観は、わが国の国民精神の強固な岩盤に間違いない。「人間尊重の精神」の育成は戦後民主教育を一貫する支柱であり、マスコミが連日報道する人道的立場からの難民や弱者への医療支援や生活支援の姿に共鳴する日本人は多い。

 しかし一方で、ヒューマニズムを語るとき、ある種の後ろめたさも感じないだろうか。これだけの科学技術立国を作り上げてきたにもかかわらず、内閣府の意識調査によると国民の60%が将来に悲観的である。人間を第一とするヒューマニズムが謳歌されている社会の根底で、家庭が崩壊し学級が崩壊し、精神疾患の休職者が止まるところを知らず、貧困家庭がアメーバのように広がっている。

 そして、何よりも重要なことは、自分が人生の主人公であってよいのだろうかという実存的問いかけが見られるのも事実ではないだろうか。

 著名な歴史学者であった会田雄次は、ヒューマニズムの限界について次のような示唆に富む文章を残している。

 「人間は霊魂を持つから、持たない動物とは区別される。しかし、それを失い、動物まで転落する人間がいる。この場合、決定の権限を持つものは、カトリックでは聖職者である。新大陸の発見によって認められたその地の原住民を、人間か否かを判断する会議を開いてインカ帝国の住民を人間と決定したのは、こういう人達であった。しかし、この観念の発生基盤はヨーロッパの生活なのであり、キリスト教はそれを理論化し、異常化させ、一般化させたのである。(中略)人を救う価値のないもの、即ち異教徒、異端、不信心者、魔女使いなどと断定することによって、その存在そのものを自由に否定することができる方法を勝ち得たのだ。十字軍の異教徒惨殺や宗教戦争時代のスペインの宗教裁判や新大陸の原住民虐殺など、その身の毛もよだつような惨虐行為だって、その実行者は神の名によって、何の良心の呵責がないどころか、おそらく、正義を行っているという軒昂たる意気を以ってやったであろうことは想像に難くない」

 そうなのである。彼らは、正義を行っているという軒昂たる意気を以って、価値のない人々を虐殺できたのである。このように、人間の罪悪性が根についたままの正義や善意は危ういのだ。ここに彼は、ヨーロッパを中心とするヒューマニズムの限界を見て取ったのかもしれない。以下に、ヒューマニズムの持つ危うさを、二つの視点でまとめたい。

 一つは、自分や自分たちの特別性を前面に押し立てることがある。私はオンリーワンの存在なのだ。他の人にはない特別で特殊な人間なのだ。現代社会の「私」デモクラシーの根底はこれである。群れになっても同様である。我々はフィーリングと善意を共有する良き仲間であり、向こうの群れとは違う。我々の国は特殊であり、他の国とは違うという発想も同じであろう。宗教でいえば選民性である。やがて、相手を低く見てイジメが始まり、相手国を低く見て植民と略奪が始まる。すべては善意から始まるのである。

 二つめは、自己の神格化である。神なき時代の国民精神としての悪性ヒューマニズムは、自己を価値判断の裁判官とし、その延長線上には自己の神格化が待っている。一例を挙げれば、ロシアの作家ドストエフスキーは『罪と罰』で主人公たちに次のように語らせている。「人間にはすべてが許されている。人間は何をしてもよい。法律も道徳も人間を縛ることはできない。人間は神のように自由な主権者なのだ」。そして、主人公たちはそれを実行してしまう。ここに、我々の常識的なヒューマニズムの究極の形態があり、我々が精神の奥深くに秘かに隠しもっている「自己神格化」の闇の部分を垣間見せてくれる。

 このように考えてみると、我々が一般的には評価するヒューマニズム、そして、その延長上にある「自分の信念や正義感を持つこと」「自己肯定感を持つこと」という生き方の基準が、他方から見れば悪性ヒューマニズムに陥り、独善と妄想の結末に終わってしまう危険性があることを示している。

 ところで、『罪と罰』の最終場面で、主人公が流刑地シベリアの獄中で夢を見る。全世界の人々が恐ろしい伝染病に感染して、ことごとく滅し尽くされる夢である。その病原菌とは、人間の「自己確信」なのである。

 「この細菌は、理知と意志とを付与された幽霊であった。これに食い入れられた人たちは、たちまち悪魔に魅入られた狂人のようになるのだ。人類は、いまだかってなかったほど強烈に自分が賢くてしっかりした者であると考え、自分の判断や信念を動かし難いものと考えるようになった」

 かくして、この自己確信に満ちた人々は、互いに自己を主張して相争い、滅ぼし合い、ついに全人類は滅亡してしまうのである。

 美しいヒューマニズムの裏側には、このような闇と影があることに心しなければならないのではないだろうか。

(かとう・たかし)