対中韓関係は「半身の構え」で

櫻田 淳東洋学園大学教授 櫻田 淳

幻滅に近い日本の感情

生命線視した戦前は大失敗

 約3年半ぶりに再開された日中韓首脳会談は、来年以降の「定例化」という成果を残したと報じられた。この首脳会談を機に日中関係や日韓関係の膠着が打開されると期待する向きがあるけれども、事は然程、単純ではないであろう。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」の言葉に従えば、永き膠着を経た後の日中関係や日韓関係は、決して昔日と同じものに戻るはずはないからである。

 結局、中国大陸も朝鮮半島も、日本にとっては、「半身の構え」で向き合うべき空間でしかない。戦前日本の最たる失敗は、その「『半身の構え」で向き合うべき空間」が「全力を傾けて向き合うべき空間」であると勘違いをしたことにある。昭和初期、松岡洋右が呼号した「滿蒙は日本の生命線である」という言葉は、そうした勘違いを示す一つの事例でしかない。

 往時、石橋湛山は、「満州や朝鮮半島の植民地がなくても、貿易で日本は充分に立ち行く」という議論を既に提示していたけれども、検証されるべきは、そうした議論が何故、昔日には主流になり得なかったかということである。戦後、中国大陸や朝鮮半島との縁が断ち切られていた昭和40年代までに日本が「世界第2の経済大国」に成り上がった事実は、戦前に石橋湛山の議論を一笑に付していたような人々の眼には、どのように映っていたのか。

 もっとも、今となっては、たとえば「朝鮮半島に一切、関わるな」という議論は、多分に「啖呵を切り溜飲を下げたい」感情の表明になったとしても、合理的な政策選択を裏付けるものにはなり得ない。そうした議論は、中国大陸や朝鮮半島に「全力を傾けて向き合う」という議論とは向きを逆にしただけの極論でしかない。極論は、対外政策展開から「柔軟性」を奪うのである。

 日中韓首脳会談での議論の様子が浮かび上がらせたものは、中国大陸や朝鮮半島に「半身の構え」で向き合う方針の確かさであった。「本気になるべきではない相手と本気で付き合ってはいけない」。これも一つの真理であろう。

 加えて、指摘しておかなければならないのは、政治家同士が握手したとしても、国民感情が付いて行かなければ、それは関係改善とはいえまいということである。

 振り返れば、戦時中の日本では、「鬼畜米英」の標語が叫ばれたけれども、戦後に至って、標語に煽られた米英両国に対する「反感」は、急速に消えた。それは、何故か。

 事実をいえば、往時の日本の人々は内心、そのような標語を信じていなかったのである。ベーブ・ルースやルー・ゲーリックを擁する米大リーグ(MLB)選抜チームが来日し、熱狂的に迎えられたのは、昭和9年、日米開戦に先立つこと僅かに7年前である。MLBチームの野球に熱狂した日本人が僅か7年後に一転して「鬼畜米英」の標語を本気に信じるようになるのは、人間の心理からして不自然極まりない。人間は、余程の痛烈な体験を経るのでなければ、「簡単には変わらない」ものだからである。

 政府の教育やメディアの宣伝によって作られた「反感」は、「真実」の裏付けをもたないと、些細な理由で途端に崩落する。「鬼畜米英」の標語が煽ろうとした「反感」は、そういう類のものであった。

 そして、現在の中国や韓国における対日「反感」も、同じ類のものであろう。昨今、中国から来た訪日観光客の多くが、訪日後に対日印象を佳き方向に変えているという事実は、中国における対日「反感」の実相を垣間見せている。

 しかしながら、現在の日本における対中・対韓「反感」は、多分に、そういう類のものではない。それは、中国や韓国の対日姿勢の実態を「知ってしまった」が故に、「百年の恋も冷めた」という幻滅の感情に近い。

 日本の人々は、特に1980年代以降には中国に対して、2000年代には韓国に対して、強い「親近感」を示したものであるけれども、こうした時節の後であればこそ、日本における対中・対韓「反感」は、「山高ければ谷深し」の理屈で、相当に根深いものになっているのである。中国政府や韓国政府が、これを日本における「右傾化」傾向の証拠であると評するのであれば、その評は明らかに誤っているのであろう。

 現在の日本における対中「反感」や対韓「反感」は、中国や韓国における対日「反感」に比べれば、それが半ば作為的に作られたものではないが故に、遥かに修正が難しいかもしれない。その修正には、一つの世代を経る程の時間が掛かるのではなかろうか。対中関係や対韓関係には過剰に期待しないけれども殊更に敬遠もしない。そういう局面である。

(さくらだ・じゅん)