「50代のリセット」を考えよう

秋山 昭八弁護士 秋山 昭八

起業こそ新しい働き方

多くの経験と人脈生かす道

 「長期雇用」と「年功給」は雇用や賃金に硬直性をもたらす日本的慣行であるといわれてきた。しかし、製造業のような第2次産業において、長期雇用は労働者の技能・技術の向上と雇用の安定に寄与し、これによって生産性の向上が図られてきた。熟練した労働者を養成するには、職場での実務経験を積み重ねる必要があるため時間とコストがかかり、受け入れた企業は育成に要したコストを回収し、優秀な労働者を手放さないよう長期雇用と処遇を確保してきた。

 しかしIT化等により、労働者の技術の蓄積は機械やコンピューターで代替えできるようになったことから、近年では雇用全体の中で非正規労働やパート労働が増加している。それらの労働者の多くは単純作業に従事し、雇用が各人の技術・技能の発展につながらない状況にある。

 若い人を中心に技術や資格を高めるため職場を渡り歩くことが広くみられ、労働者にとって就職した会社は絶対のものではなく、会社の経営がうまくいかなくなれば、同じ業界の他の会社や他の業界でその技術を使ってくれる会社に転職することが当然となる。

 「失われた20年」を経(へ)、会社の存続は厳しくなり、今日と同じ「明日」が来る保証はない。企業が終身雇用を守り続けることが難しくなってきた今日、会社員自らが「50代のリセット」を選択できるような生き方をするようになり、それが新しい働き方といえよう。終身雇用が当たり前だった時代、中途で辞めた社員は「裏切り者」だったが、もはやそんな時代ではなくなった。

 五十にして天命を知るとの孔子の言葉は有名であるが、人々は天命を知った後は「余生」として老後を送るのが常だった。しかし、平均余命が大きく延びた日本社会を生きている今日、「会社がすべて」ともいえる人生を送った人に「50代のリセット」を考えることを奨めたい。

 高い評価を受けようと、転職しながらキャリアアップしていく人が増えた。20年前は終身雇用が前提であったし、転職は「会社にいられなくなってやむを得ずするもの」というネガティブイメージすらあった。

 現在50代の人たちが社会人になった当時の日本企業では、見事な年功序列が成り立っていた。年齢とともに役職が上がり、それが個人の働く意欲を刺激し、企業の生産性を高めていた。誰もが一生懸命働いていれば「暗黙の雇用契約」が定年まで続くと信じていた。しかし、企業の競争環境は熾烈を極め、経営の「戦時」と「平時」は、おおよそ10年のサイクルで繰り返されるようになった。

 50代は、役職定年・退職勧奨などのキャリアショックに見舞われ、期待される人材としての扱いが低下する中、働く期間が延びた今日、50歳が正に「不惑の年」といえる。これまでの役割に幕を下ろすこの年代は、セカンドキャリアが始まる年代ともいえよう。

 そこで今さら転職といっても、特別の才能、資格があればともかく、既存の会社への就職は不可能であり、自らの起業こそ正に人生の転換である。

 政府は約5%にとどまる日本の開業率を、英米並みの10%に引き上げる方針を打ち出しており、起業をめざす人への低利融資の拡大を成長戦略の一つとしており、脱デフレで融資を受けて企業を起こす人も7年ぶりの高水準になっている。

 従前築いてきた幅広い実績を原資として、新規事業に挑戦することを奨めたい。

 従前の実績とは財産的価値だけではなく、人間関係こそ貴重な原資となり得よう。一個人がこれまでのように自分が所属する組織や会社に人生を預けておけば、定年までなんとか面倒をみてくれたというような幻想は捨てざるを得ない状況である。一人ひとりが自分株式会社(アイカンパニー)の経営者という観点で主体的、自主的に自らのキャリアをデザインし、自らを磨き、人生を切り開いていくというスタンスが今求められている。

 民間企業では、成果主義の導入により人事管理手法が大きく変化したが、それによりモチベーションが低下したり、メンタルヘルスで問題を抱える人が増加したという見解と、モチベーションには繋がっていないと全く逆の見解があるが、民間企業における成果主義の議論は、企業側からすると、成果主義を打ち出しながら本音のところでは総人件費の抑制がある。

 しかしながら文字通り成果主義にもとづき長時間労働から解放され、高い処遇を得ながら会社にも寄与する道が選択される成果主義を実現し、海外からの投資をしやすくすることも必要である。

 9月16日付日本経済新聞電子版によれば、「東大生6人に1人が起業家精神」の記事で、多数の東大発ベンチャーが登場し、新市場を切り開いていると報ぜられているが、多くの経験を積んだ50代こそ、起業を心掛けるべきである。

(あきやま・しょうはち)