韓国の歴史認識は朝日誤報

秋山 昭八日韓弁護士協議会元会長 秋山 昭八

最悪の外交関係の発源

筋違いな日本非難国会決議

 過般5月13日、韓国国会は安倍総理の米議会演説を糾弾する決議を採択したことは、誠に非礼と言わざるを得ず、また、明治日本の産業遺産群を世界文化遺産に申請したことを非難する韓国国会の決議も、全く筋違いという他ない。

 小職は昨年8月、当紙上に朝日新聞の、慰安婦強制連行記事の取り消しと真の日韓友好樹立、と題する記事を投稿したが(「朝日誤報を国際社会に伝えよ」2014年8月25日付)、その直後に読売新聞東京本社が、「慰安婦」報道は何が問題なのかとする小冊子を発行し、歴史から目をそらさないことが解決の第一歩と訴え、慰安婦報道の真相に迫ろうとしている。

 慰安婦問題は、朝日新聞の報道をきっかけに日本と韓国の大きな懸案となっているばかりか、世界に広まった誤解を解くために、一段の努力が必要である。

 同紙は、1992年1月に日韓首脳会談の直前という微妙な時期に「慰安所を日本軍が監督、統制していた資料が見つかった」と報じ、また、女性を軍需工場などに動員した「女子挺身(ていしん)隊」と慰安婦を混同して報道し、「小学生までが慰安婦にされた」などと報じた記事を、昨年8月、ようやく誤報と認め取り消した。

 しかし、同紙の報道に端を発した慰安婦問題の深刻化により、日韓関係の修復は容易ではなく、しかも、国連で何度も取り上げられ、「性奴隷国家・日本」という大変な不名誉を我が国にもたらした。

 朝日新聞の一連の慰安婦報道が始まったのは1982年(昭和57年)であった。戦時下の日本で、動員指揮の仕事をしていたという吉田清治なる人物の証言を大々的に紙面で紹介した内容は、きわめてショッキングなもので、「3年間で950人もの朝鮮人女性を強制連行した」とか、完全武装の日本兵10人が同行し、集落を見つけるとまず兵士が包囲する、連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した――等というものである。

 しかし、90年代に入ると、その信憑(しんぴょう)性を疑う声が多く聞かれるようになり、朝日新聞自身が行った済州島での再取材でも、他のメディア、歴史家が行った調査でも証言を裏付けるような証拠は得られていない。島から若い女性が何百人も連れ去られたというのに、目撃談が全く得られなかったと言う。

 朝日新聞は、「民間業者が甘い言葉で女性たちを誘ったり、だましたりして連れていった場合でも、本人の意思に反して慰安婦にされたのだから、広義の強制性があった」と述べているが、全く実態が異なる。

 朝日新聞は昨年8月、慰安婦報道をめぐる特集記事の中で、過去に慰安婦を女子挺身隊であったかのように使う誤用があったと認めた。しかし、「慰安婦」と「挺身隊」は全く別のもので、挺身隊は「女子勤労挺身隊」とも呼ばれ、軍需工場などでの勤務に従事していた。「挺身隊=慰安婦」報道のために、韓国では「小学生すら慰安婦にしていたのか」という猛烈な日本バッシングを引き起こした。

 朝日新聞は、慰安婦の数は「20万人ともいわれる」としたことから、韓国の反日団体が「20万人の朝鮮人女性が強制的に従軍慰安婦にされた」と訴えている始末である。

 韓国で日本に批判的な世論が高まり、日韓首脳会談で、宮沢首相が謝罪と反省を繰り返すこととなり、日本の首相の威厳は大きく損なわれた。

 政府は韓国国内の反日ムードに配慮して、1993年8月、慰安婦問題に関する公式見解「河野談話」を発表した。このことが、国際的には日本が強制連行を認めたという認識の根拠となっている。

 韓国社会は日本を誹謗(ひぼう)する「ジャパン・ディスカウント」の手段に慰安婦問題を利用し、米国など第三国で「日本の非道」を訴え続けており、連携を強める中韓両国政府もこの朝日報道を利用し、政治問題化した。

 その後、国連人権委員会「女性への暴力に関する特別報告者」であるラディカ・クマラスワミ氏は96年、日本政府に対し、元慰安婦への国家賠償や責任者の処罰をするよう勧告し、このクマラスワミ報告がその後、国際社会で日本への非難の根拠となっている。

 慰安婦を巡る日本バッシングは、その後、韓国系団体などの運動によって議会にも広がり、激しさを増し、99年8月、米カリフォルニア州議会は、旧日本軍の戦争犯罪について、日本政府の率直な謝罪と犠牲者への賠償を求める決議を採択した。

 2007年7月には米下院で、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で日本に公式謝罪を求める決議が採択された。

 朝日新聞の報道が原因で、現在の最悪の日韓関係が生じたもので、「日本は歴史を正しく認識していない」と韓国は言ってくるが、その韓国の人々の「歴史認識」なるものは朝日新聞の記事がきっかけとなっている。

(あきやま・しょうはち)