台湾に学ぶ豊かな地方造り

宮城 能彦沖縄大学教授 宮城 能彦

商売エネルギーが充満

沖縄と似たもてなしの作法

 15年前からほとんど毎年のように台湾に出かけている。

 そのほとんどは、学生と一緒に台湾の歴史や文化を学んだり、台湾の小学校と交流することであるが、数年前には李登輝元総統にもお会いして様々なことをご教授いただいたこともあった。圧倒的な存在感やオーラを放ちつつも、穏やかで優しく、どこか人懐っこいお人柄に感激したことは今でも忘れることはない。

 街中に行って、言葉は通じなくても、なぜか居心地が良い。

 台湾の人たちが親日的であることがその最も大きな要因ではあろう。しかし、沖縄生まれ沖縄育ちの私にとっては、おそらく他県の人よりもさらに心地がよいのだと思う。

 そこには、南の島で育った人間に共通する何かがあるからかもしれない。

 南の島の、良く言えばおおらかさ、悪く言えばいい加減さの波長がなぜかピッタリとあう。いわゆる「おもてなし」の考え方や作法が同じなのである。

 沖縄の人間は、「相手に如何に気を遣わせず、くつろいでもらえるか」と気を遣う。こちらの気遣いで相手が恐縮したり逆に気を遣ったりしないように、いかにも「気を遣ってない」ような素振りをするのである。ただ、欠点は、そうやって「気遣いしてない素振り」が時々本当に「気遣い」しない適当な対応になってしまうことではあるが。

 例えば、初対面の人に「どこから来たのですか」だけでなく、「家族は何人?」「ご主人は何をしているの?」「あら、まだ独身なの?」などとズケズケと聞いてしまうことがある。これは沖縄の人間からすれば「親しさ」の表現なのであるが、プライバシーをあまり表に出したくない都会人には苦痛である。答えたくなければ「秘密です」と笑って答えればいいのだが、沖縄の人のそのような無遠慮さが好きになれない沖縄移住者も多い。

 少なくとも、私が体験してきた台湾の「おもてなし」は、私には沖縄と同じ種類のような感じがして心地よかった。無駄に気を遣わなくていいというか、「それは建前か、どの程度本音なのか」と考えないですむ分、気持ちがストレートに通じ合っているような気がするのだ。

 ほとんど「お節介」に近いほどの親切さも、その親切をストレートに感謝はしても、極端に恐縮してしまうことのない心性も共通するのだと思う。

 しかし、台湾の人にはもう一つの顔というか特徴がある。

 それを端的に言えば、「華僑的」側面とでも言えるのかもしれない。

 ただし、近年、大陸から押し寄せる中国人観光客のマナーの悪さに台湾の人たちがうんざりしているように、大陸の「中国人」と「台湾人」では、その性格は全く異なる。それでも、沖縄人がもっていない「中国人的」な何かを台湾人はもっている。

 沖縄の人間とは対照的な台湾の人の姿。それは、「商売」のやり方に現れているだろう。

 臨機応変に抜け目なく合理的に対処していく姿は、沖縄の人間には真似できない。かつて私は、台湾人から「沖縄では、みな正直すぎるので商売が楽でいい」と聞いたことがある。冗談交じりではあったが、それは事実だろう。

 それは、本省人であれ、元々は大陸から移住してきた人たちであることが基礎になっているのだろう。戦後70年間の北京語で受けた教育がそれをさらに強化したのかもしれない。

 ただし私は、台湾の人たちの「華僑的」要素を否定的には考えていない。

 むしろ、沖縄の人間が学ばなければならない最大の課題だと思っている。いや、沖縄だけではなく、日本の「地方」に住むすべての人の課題である。

 「日本の『地方』において、今後いかに豊かな生活を維持していくか」というのが私の研究テーマのひとつであるが、そのヒントが台湾にもある。私たちは、田舎の素朴さや共同体の相互扶助を守りながらも、しっかりと経済的に自立しなければならないのだ。

 台北や高雄だけでなく、台湾の街に行けば、屋台で一生懸命商売をしている若い夫婦を見かけることがある。夫婦で一生懸命に稼いでお金を貯め、少しずつ階段を上っていく。子どもができれば、教育に金は惜しまない。

 確かに、台湾にも独自の問題や課題は多い。

 タクシーなどの運賃が安いことは、私たちのような観光客にとってはありがたいことだが、それだけ格差社会だということでもある。大卒の賃金が安すぎて、多くの若者が副業を余儀なくされているとも聞く。日本を追いかけ追い越すような勢いで少子高齢化も進んでいる。

 しかし、それでも台湾には日本にないエネルギーがまだまだ充満している。

 学べることは多い。電線の地中化を瞬く間に実現してしまう台北市や高雄市のように、台湾の行政は極めて合理的である。それは、歩行者用信号機を見て、ハイテクのバスに乗ればわかる。

 台湾との交流というレベルではなく、台湾と共同のプロジェクトや研究を行政や教育の分野でも行っていく。日本の地方、特に沖縄においては、それこそが最も現実的で大きな成果を生み出せる方法ではないだろうか。

(みやぎ・よしひこ)