第2次大戦終結70年に思う
列強世界支配の分水嶺
植民地主義が解放戦に転換
今年は、第2次大戦終結70年になる。第2次大戦とは何だったのだろうか。第2次大戦は、ヨーロッパ地域とアジア地域に分けて考えるべきであろう。ヨーロッパ地域における第2次大戦は、第1次大戦につぐヨーロッパ全体の再度の自決行為であったとも言える。しかし、アジア地域における第2次大戦は、もう少し違う様相を呈している。
確かに、第2次大戦に突入するまでの日本の中国進出、および第2次大戦での日本の行動は、ヨーロッパ諸国がアジアの各地で行っていたのと同じような、あるいはそれ以上の日本の植民地主義的進出だったと言わねばならない。しかし、同時にまた、第2次大戦における日本の行動は、戦線の拡大とともに、ヨーロッパ列強によって形成されていた世界秩序への反逆という意味ももっていた。第2次大戦における日本の行動は、日本の植民地主義的進出であったとともに、反植民地主義的行動でもあったのである。この矛盾の転換点になったのが、日中戦争から対米英蘭戦への転換であった。
実際、第2次大戦での日本の行動は、マレー、ビルマ、インドを植民地化していたイギリス、ベトナムを植民地化していたフランス、インドネシアを植民地化していたオランダとの戦い(一部交渉を含む)に発展していった。そして、この戦いによって、日本も壊滅的打撃を受けたが、イギリス、フランス、オランダも疲弊した。このヨーロッパ諸国の疲弊とともに、大戦後、東南アジアや南アジアの諸国は独立を果たすことができたのである。
例えば、インドネシアでは、1942年に進出してきた日本軍によってオランダ勢力は一掃され、インドネシア国民党を率いていたスカルノやハッタを中心に独立への要求が高まり、日本は独立を承認した。大戦後復帰してきたオランダ軍も、インドネシア人民の独立戦争で示した情熱の前に撤退せざるをえなかった。
ビルマでも、ビルマを脱出したアウンサンやネ・ウィンを中心に組織されたビルマ独立義勇軍が日本軍とともにラングーンに進軍、イギリス軍を一掃、日本は1943年にビルマの独立を承認した。そのこともあって、ビルマは、1948年にイギリスに早期の独立を承認させることができた。
インドの独立運動でも、チャンドラ・ボースやプリタム・シン、モハン・シンのように、日本軍と協力してインド国民軍をつくり、イギリス軍と戦おうとした派があった。そのこともあって、第2次大戦で疲弊したイギリスは、1946年、インドに完全独立を与えている。
もちろん、このアジア諸国の独立の背景には、19世紀末以来、20世紀の第1次大戦、第2次大戦とかけて、長い間試みられてきた各民族の独立運動の長い歴史があった。その長い闘争の積み重ねなくして、独立はありえなかった。これと、日本の反撃、さらにヨーロッパ戦線でのヨーロッパ諸国の疲弊が連動して、多くのアジア諸国の独立はもたらされた。しかも、この独立の動きは、大戦後、燎原(りょうげん)の火のようにアフリカ諸国にまで及んだ。こうして、遠く17世紀以来20世紀半ばまで350年余り続いたヨーロッパ植民地勢力の世界支配は終焉(しゅうえん)を迎え、ヨーロッパ勢力は後退せざるをえなかったのである。
第2次大戦での日本の行動を、その前の日中戦争も含めて考えた場合、その前半部での日本の大陸進出は日本の植民地主義的進出であったが、これが直接欧米との戦いに転換し、東南アジアやインドにまで及んだとき、それは、アジアにおける植民地解放戦争という意味をもったと言わねばならない。第2次大戦における日本の行動には二面性があり、多くの矛盾したものがあった。それは、欧米列強と同じ植民地主義的行動であったと同時に、アジアを植民地化していた欧米列強への反撃でもあったのである。それは、時間的にも、日中戦争では植民地主義的面が強く現れ、対米英蘭戦に至って植民地解放戦争という意味合いが強くなってきたことにも現れている。また、空間的にも、朝鮮、台湾、中国、フィリピン、ベトナムなど、日本に近い範囲では日本の植民地主義的支配という面が強く現れ、インドネシア、マレー、ビルマ、インドなど日本よりも遠い地域では、どちらかというと植民地解放戦争という意味合いが強く現れた点にも見ることができる。
19世紀がヨーロッパの世紀であったのに対して、20世紀は、アメリカやソ連、日本など非ヨーロッパ諸国が台頭してきた時代であった。と同時に、アジア・アフリカ諸国のヨーロッパからの自立という事実も、20世紀を特徴づける重大な出来事であった。今から70年前の第2次大戦が終結した1945年は、アジア・アフリカ諸国の自立へと向かった世界史上画期的な年であった。
それは、20世紀の半ばにあって、ヨーロッパ列強の世界支配に終止符を打ったこの世紀の大きな分水嶺(れい)を形成した年だったのである。この20世紀の分水嶺を形成する上で、日本の第2次大戦における一撃の果たした役割には無視できないものがあったと言わねばならない。
(こばやし・みちのり)