赤珊瑚は海で漁らずに掘れ
タクラマカンから発掘
大陸奥地で珍重された歴史
今年(2014年)の夏から秋にかけて、中国漁船が小笠原諸島近海に希少な珊瑚(サンゴ)を狙って押し寄せ、ニュースを連日のように賑わせた。多分、日本人の大半はサンゴを知らなかったものはいなかったろうが、これほど半狂乱に群がる中国船の集団に、その真意を知った人はいなかったろうと思う。家の中を探せば、母か祖母の使ったサンゴの装飾品なら、きっと一つか二つは見つかるだろうからだ。しかし、彼の地でこれほど珍重されるものだと知っていた人は少なかったろう。
改めてサンゴについて説明する必要などないだろうが、妙な縁で私はサンゴについて幾つかのエピソードにぶつかったことがある。たしか1970年代にたまたま台湾に旅したとき、知り合った装飾店の主人が店にあった鮮やかな紅色のサンゴを見せてくれ、これは日本の南に広がる小笠原の海底から採取してきたものだと話してくれた。私もこんな真っ赤なサンゴなど見たことがなかったので、初めは人工の模造品だと思った。しかし、これは真物で、これほど紅色のものは入手がむずかしく、しかも大変高価だということだった。採取するには海底に長い鎖の網を下ろして、浚(さら)って取るのだというが、これがなかなかむずかしいとのことだった。
この話は妙に印象に残っていて、それから数年かそこらたってたまたま四国の高知に行ったとき、この町にある大きなサンゴ・センターを訪れる機会があった。知人の紹介があったからだった。ここは大変立派な建物で、中は全て色様々なサンゴで飾られていた。このとき出向いたのは、かつて台湾で見かけた紅サンゴがあるのかどうか、知りたいからだ。すると、入口から遙か一番ずっと奥の所に紅サンゴが飾られてあった。
そこで早速、担当者に訊ねてみると、たしかに紅サンゴは希少種であっても大変高価であり、このセンターの品数も少なく、今ちょうど東京・日本橋の百貨店に展示のため持って行ってしまったので、よい品がないと言っていた。中でも貴重品の幾つかを見せてくれ、説明もしてくれたが、これは台湾の人が私に話してくれたことが、みな真実だったことだった。
こんなことがあってからまた何年かたって、たまたま奈良の仏教大学で内陸アジアの研究発表会があり、私も招かれたので様々な学術発表を各専門家から聞くことがあった。このときたまたまサンゴの話にぶつかったのだった。縁もこうなるともう奇縁などとは言っていられない。
この発表の西域研究者は、なんとタリム盆地の大タクラマカン沙漠を発掘調査していたところ、砂に埋もれた廃墟を発見したのだという。せいぜい西暦4~5世紀の頃に当たるだろうか。するとこの小さな廃墟跡の家屋の内部から、沢山のサンゴの商品見本が見つかったという。どうやらサンゴの装飾品を売っていた商店だったらしい。その記録写真も見ることが出来た。私も幾度かタクラマカンを歩いたが、そんな機会は千載一遇どころか万年に一度もぶつかることはあるまい。
これは本心仰天するようなニュースだった。いまは乾燥した沙漠であるが、かつてここで海産のサンゴが売られていたのだった。結局サンゴは海産物だから、ここに海から運んでこなくてはならない。一体どこからどうやって。当然、考えられるのはここからずっと南のガンダーラ地方を抜け、いまのアフガン、パキスタンの南のインド洋辺りから採取し、運んできたものと推測される。
普通なら、研究もこの辺りでだいたい推定で一段落するところだが、私はすぐ思い当たる所があった。本来が山地民族であるチベット人は、実は大変サンゴが好きである。仏教の七宝の一つとして、サンゴは大変珍重・貴重視される。ラサの町を歩くと、サンゴを扱う商店にぶつかる。そこでこの店で働く若い現地の女性と知り合ったので、いろいろ訊ねてみるチャンスがあった。
そこで、一体このサンゴはどこから持ってくるのと訊ねてみた。すると彼女は詳しいことは知らないが、商人も秘密だからと言って喋(しゃべ)らないものの、どうやらラサの南西方向の地下から掘ってくるらしい。そしてサンゴの原形を残した赤サンゴの標本をくれた。そこですぐにピンとくるものがあった。
そこはだいたいエヴェレストの北山麓に当たる辺りである。ここはかつて地質時代、インド亜大陸がユーラシア大陸と衝突し、海底堆積物は押し上げられて、いまのヒマラヤ山脈が構成された。ここからは私の勝手の空想だから笑い話として信じない方がよいのだが、エヴェレストの7000㍍辺りの山腹の地層には、化石化したサンゴが含まれているという。タクラマカンのサンゴ商人は、何もインド洋まで採りに行かなくても済んだわけだ。しかも、“小笠原諸島”は中国の目と鼻の先にある。冒険などしなくてもよいわけだ。盗賊団にとって放っておくことはないだろう。
(かねこ・たみお)