地方に学ぶ濃い人付き合い
共同体支える相互扶助
東北被災者訪沖の交流から
調査や仕事で離島や中山間地、いわゆる「過疎地」とか「田舎」を巡ることが多い。
調査でお世話になっているのは私の方なのに、お茶やお菓子を出してくれるだけでなく、「夕ご飯食べていって」とか「お酒飲んでいけ」と誘われることが多い。それは、例えば歴史ある都市で有名な、実は「早く帰ってほしい」という意味では決してない。食べなかったり飲まなかったりすると失礼になるので、民族(俗)学などのフィールドワークを教える大学のゼミでは、「何でも喜んで食べて飲め」と教えるところも少なくない。飲食を共にするところからやっと「話を聞く」ことが始まるからだ。
それだけではない、田舎に行くと、初めて会ったのにも関わらず、野菜や果物などのお土産を持たせてくれることが多い。都市部から来た者は皆よろこんで、その野菜や果物そして心を受け取って幸せな気持ちで帰っていく。
昨年、東北で津波被害にあい仮設住宅で暮らす2人の初老の方が、東京でボランティアをしている私の友人と一緒に沖縄に遊びに来た。私は車で3日間沖縄を案内し、北部やんばるの集落の人たちとの交流もすることができた。家族を奪った海を見ることが出来なくなった彼らも、沖縄の綺麗な海を見れば再び海を見ることができるようになるのではないか、と考えての沖縄旅行で、結果的にその試みは大成功であった。
その時、私がまず驚いたのは、私や交流するやんばるの人々への東北から持って来たお土産の多さである。また、行く先々で買う友人知人への土産の量にびっくり。この日の旅行のためにコツコツ貯めていたお金を惜しげもなく使うのである。そして、どんなに断っても「今晩のお酒のおつまみに」とか「私たちが帰った後にいただいてください」と言って私の分までもお土産を買ってしまうのだ。
国頭村(くにがみそん)の集落での交流会では、オバー達が、わざわざ沖縄のお菓子であるサーターアンダギーの作り方を教えてくれ、一緒に作った百個近くを東北へのお土産にと持たせてくれた。全部受け入れ側の持ち出しであるが、そういうことはどうでもいいという雰囲気である。一緒に冗談を言いあって笑い、初めて会ったとは思えない、まるで昔からの付き合いのような楽しさであった。
これまで、私が調査でお世話になっている集落に都会から来た研究者や学生を案内し、同じように歓迎してもらったことは何度もある。しかし、このような相互の深い交流は初めてであった。
東北の田舎と沖縄の田舎の人たちの交流は、都会人から見れば過剰な贈り物のやり取りであり、損得を考えず計算のない人付き合いである。交流というより交際やお付き合いと言った方がいいであろう。そのお付き合いは去年の訪問以来ずっと続いており、台風が来ると今でも東北からお見舞いの電話が私やお世話になった集落の方にかかってくる。
それに対して都会の人の付き合い方は、決して礼を失しているわけでも不作法でもない。極めて合理的と言ってもよい。どちらか一方が過剰な負担にならないように神経を使い計算をしている。しかし、そのために、都会の人と田舎の人の付き合いは、どうしても田舎の人の一方的で過剰な贈与になってしまう。
この原稿を書いている最中に長野県北部で大きな地震があり、多くの家屋が倒壊したのにもかかわらず、幸いにも死者はでなかった。その要因のひとつに、お互いに支えあう地域の組織と活動があげられる。倒壊した家屋の下敷きになっていた人を皆で助け出し、地域の人たちの安否確認もすぐにできたのだ。今後、そのような共同体的セイフティ・ネットワークはますます見直されるであろう。そして、その共同体を支えているのが、過剰にも見える「人に何かをあげる」「してあげる」という人付き合いのあり方である。
相互扶助というと、お互いにフィフティ・フィフティの関係だと思いがちだ。しかし、実際の田舎生活を都会人が見ると「人にやってあげるばかり」であり、「やってもらった分だけお返しをしよう」という都会的な考え方では相互扶助は成り立たない。
おそらく「地方」はこれからますます注目されるであろう。地方を消滅させないための政策がとられる一方で、地方(田舎)暮らしの中の相互扶助のしくみも評価が高まると思われる。しかし、相互扶助の実際を知らなくては、相互扶助に「自分が助けてもらう」ことしか想像できない人が増えるだけになってしまい、うまくいかないだろう。実は、その過剰さこそ地方の「田舎」者の強さなのだ。
実は、私たちや私たちの父母は、田舎の人たちのこのような濃い人付き合いが面倒だと思ったからこそ田舎から都会へ出ていったのである。世代が進み、そのことを皆忘れてしまった。果たして、新たな共同体的セイフティ・ネットワークを構築していく時に、私たちは、「過剰に人にやってあげる」ということが出来るようになるのであろうか。私にはそれがとても興味深く感じる。
(みやぎ・よしひこ)