富を産む海のシルクロード
宝石や香料が主要取引
シンドバット物語に裏付け
なにか真面目くさった話のついでに、ふとアラビアン・ナイトのことにでもふれると、途端に厭(いや)な顔をする人がいる。たしかにアラビアン・ナイトは子供向きか、大人向きになると官能本まがいになるから、話題には適さないだろう。たしかにその通りだが、詰め込み教育やら受験戦争の関係者には、こんな本は話題にもしたくないにちがいない。
21世紀に入り、時代はすっかり変わったのだが、日本人にはそれが分からないらしい。アラビアン・ナイトの世界もその一つで、実にこの中には無限に近い知識と情報が入っている。知られていない方がむしろありがたいのだが、近年、とくに最近そうとばかり言っていられなくなったようだ。
それはシルクロードでも海を扱った海のシルクロードである。とくに中国がこれに関心を持ち始め、いま中国が近隣諸国ととかく問題を起こしているのは、海に関わるものが多い。それにシルクロードなどまるっきり関係のなかったアメリカまでが注目しだしたようだ。とくに理研の研究論文問題でニュースの話題にも登場するようになった、アメリカの科学雑誌サイエンスにまで、しばしば紹介されるようになったのだ。
中国原産の絹製品が、西暦紀元前後から、ラクダや馬の背に積んで中国からはるばる中央アジアを横断し、さらに地中海を抜けてローマまで運ばれた交易ルートを、19世紀のドイツの地理学者v・リヒトホーフェンは、絹街道と名付けた。そもそもシルクロードの名称の起こりである。ところがこの陸のシルクロードは現在別に消滅したわけではないのだが、もうその存在意義はすっかり下落してしまった。第一にルートが長すぎること、様々な国家や民族の土地を通るのがむずかしいこと、それにカスピ海、黒海、地中海を渡るにはぜひ船が必要となる。陸のシルクロードは、すでに過去のものとなった。
そこに新しく脚光というか注目を集めたのが、あまり聞き慣れない海のシルクロードである。といってこれは最近になって新しく発見されたり、知られたものでなく、陸のシルクロード以上に長い歴史を持っていたものだった。ただこのルートをたどるには陸ではなく、海上となると交通手段は船を使わねばならず、しかも小型船では安定性を欠き、荷物も多く積めない。それに危険も付きまとう。これに早くも目をつけたのは中国だった。なのに海洋国家であるはずの日本は、さっぱり新しい発想も発展もないようだ。長い鎖国政策の呪縛からまだ抜けきれないのだろうか。
前口上が例によって長くなってしまったが、こういったホラ話は一回では無理のようだ。すでにふれたアラビアン・ナイトに戻ると、この中にシンドバットの航海という話が入っている。だれでも知っているものだ。シンドバットという男が、人生7回の航海に出て、巨万の富を得た奇想天外の物語なのだが、これは実は「シンドバードの書(ナーメ)」という話を元に作られたものだった。これは作り話として、これまでまったく信じられないものだったのだが、実はこれには裏付けの資料がちゃんとあることが分かったのだった。
この海のシルクロードもその根幹は商業取引、いわゆる交易が主要テーマだったが、その取引は絹などではなかった。こちらの中心は、実は宝石と香料であった。宝石も香料も日本では産出しないから、当然、日本人には関心が薄くなる。しかし、人間である以上、これらが現在の石油やレアアースと置き換えてみれば、きわめて重要な産物だったのだ。
海のシルクロードは、このシンドバットの破天荒の冒険と体験を通して、その航海を通して展開する。彼の航海の始まりはインド洋なのだが、ここに出るコースは、現在のアフガンとパキスタンの国境に沿って流れるインダス河である。ここはインドや中央アジア方面からもたらされる古い宝石のルートだった。この川の上流域はトルコ石、ラピズ・ラズリ(瑠璃<るり>)、紅玉髄の産地があり、その下流には潮騒の轟く、インド洋があった。
海のシルクロードに着いたのなら、今度はなにを交易の主要品にするかだ。アラビア人は抹香鯨(まっこうくじら)の体内で生じる竜涎香(りゅうぜんこう)に着目した。こちらはクジラだから、海のシルクロードの代表にぴったりにちがいない。そしてなによりもアラビア半島の南域に沿って産出される乳香と没薬(もつやく)とが、古代オリエントを代表する香料として、最も重要なものだった。
地中海地方の人々は、シバの王国(南アラビア、現イエメンの辺り。エチオピア説もある)が、香料の産地だったことはよく知っていた。ヘロドトスもストラボンも。
旧約聖書に記されたシバの女王は、イスラエルのソロモン王の名声を聞いて沢山の黄金、香料、宝石を贈り物として携え、紅海を抜け、はるばるエルサレムにやって来た。こうした伝承によれば、以来、この地方に平和と繁栄をもたらしたという。ところが歴史は皮肉なことにいまはここは激しい戦場になっている。平和のもたらせる予想はまったくない。だれか現代版のシバの女王はいないものだろうか。
(かねこ・たみお)