消える日本人の判官びいき

菊田 均文芸評論家 菊田 均

政治的敗者に共感せず
英雄は登場しない民主主義

 「判官びいき」という言葉がある。「判官」は「はんがん」とも読むが、「ほうがん」が普通だ。中級の官僚だ。

 判官は歴史上数えきれないほどいるが、有名なのは源義経(1159~1189)だろう。江戸時代の南北町奉行遠山景元(金四郎)も判官だったが、日本史全体から見れば、「判官=義経」と言ってもいいほどだ。彼の悲劇的な生涯の印象が国民の間に強く広がっていて、そこから判官びいきという言葉が生まれた。今でもこの言葉は使われているのだから、かれこれ800年の歴史がある。

 直観で言うしかないのだが、判官びいきの感情がここ二、三十年の間に失われつつある。政治的敗者に対する共感が、なくなろうとしている。

 社会全体の感覚として、判官びいきは「甘え、めめしさ、言い訳がましさ」といったネガティブなイメージで語られることが多くなった。判官びいきという感情が、何やらうっとおしいものと感じられるようになった。悲劇的人物は、今の自分らが生きている現実とはそぐわないようなのだ。

 「そんなことはない。判官びいきはなくなったわけではない」という意見もあるだろうが、「判官びいきが消えつつある」という感覚は否定しがたい。

 では、なぜそういうことになったのだろうか。政治的敗者が社会の共感を呼ぶことが少なくなったのは、民主主義のせいではないか、というのが私の仮説だ。

 一昔前、小泉純一郎元首相は、「政治で負けても、命まで取られるわけではない」と発言したことがあった。だから遠慮することなく、自分の進む道を進むだけ、という主旨だったが、今から思えば案外重要なポイントを語っていたと思われる。

 関ケ原の戦いに敗れた石田三成らは、斬首となった。江戸時代に入っても、政治的敗者は命を取られることが多かった。兄徳川家光との権力闘争に敗れた忠長は、自刃を強いられた。幕末維新の歴史の中で死んでいった政治的敗者たちも、死屍累々の感がある。

 ところが、歴史が進んだ現代の日本では、政治は選挙で決まる。選挙は合戦だ。4年弱に一度、関ケ原の合戦をやっているようなものだ。その勝敗は時には1票差で決まるわけだからまことに明瞭だ。勝者も敗者も数字で示された事実を受け入れるしかない。また、選挙で負けても、衆議院について言えば、最長でも4年待てば、再挑戦のチャンスが与えられる。

 「選挙で決める」と言ってもその程度のものだ。勝者についても、選挙の勝利の有効期限は4年に限られる。4年以内に、再度選挙の洗礼を受けなければならない。政治の勝ち負けが、関ケ原の戦いほどには決定的な意味を持たなくなった。

 となれば、選挙の敗者が悲劇の主人公になる可能性は極めて低い。「最長4年間の辛抱」はそれなりに厳しいだろうが、悲劇的事態からはほど遠い。

 そうした歴史が戦後から起算しても70年近く経過しているわけだから、政治的敗者に対する社会の見方がおのずと変わってくるのもやむをえない。判官びいきの感情が今日インパクトを失いつつあるのも、自然の流れと言うしかない。

 政治的敗者に対する共感は昔の話としてはわかるが、それは終わってしまった過去(歴史)のことであって、今の我々が直面している話ではない、という感覚が普通になりつつあるようなのだ。

 民主主義によって歴史は変容した。武力による政治的勝利は、民主主義社会ではほぼ姿を消した。歴史的敗者もいないが、歴史的勝者もいない。政治によって英雄になることは事実上なくなった。代わりにスポーツ選手が英雄扱いされるようになった。スポーツの起源が戦争であり、今でもスポーツが戦争の代用であることは周知の通りだ。

 アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を語った。『歴史の終わり(上・下)』(渡部昇一訳、三笠書房、1992年)という書名で刊行されている。

 民主主義諸国では、ほとんど全ての政治は、戦争や暴力によってではなく、選挙によって決まる。戦争や暴力が一定のウエイトを占めていた旧来の歴史は、その意味で終わった、というのが「歴史の終わり」の論点だ。そこでは政治的英雄が登場する余地はなく、従って判官びいきもなくなってしまう。義経のような人物が登場する可能性は、今後しばらくなさそうだ。

 政治制度としての民主主義は、日本ではほぼ定着した。現在、議会制民主主義に反対、という意見に出会うことは極めてまれだ。まずは「好ましい政治制度」として民主主義は、日本以外の先進諸国でも受け入れられている。

 民主主義を獲得することの代償として、特に日本人にはなじみ深かった判官びいきが失われようとしている。だが、歴史の流れがそうなのだとすれば、我々もしばらくはそうした現実に付き合うしかないようだ。

(きくた・ひとし)