ステータス・クオ崩す中東

大藏 雄之助評論家 大藏 雄之助

人為的国境に抗う勢力

条約相手にならぬテロ集団

 現在わが国と外国との境界は全部海上にあるために国民の国境意識は極めて低い。しかし、世界の多くの国は地上で隣国と接していて何度も地図が塗り替えられており、固有の領土はありえず、紛争の原因となる。

 では国境はどのようにして決まるのであろうか。基本的には隣接国間の条約によって決定される。双方の間に分水嶺(れい)になる山脈や大きな河川があれば了解が成立しやすい。古くはその一方が戦争に勝てば領地を獲得した。

 18世紀以降は国際法の慣行が成立して、戦争終結後必ず講和条約を締結して国境線を取り決めることになった。戦勝国が敗戦国に対して不当な要求を押し付けても、それはやむを得ないものとされてきた。

 今年は第1次世界大戦勃発100周年に当たることから、4年間の戦闘を含めて多角的な検討がなされている。

 結果だけを言えば、民族自決の美名のもとに、敗戦国側のドイツ・オーストリア・ロシア・オスマン(トルコ)の4大帝国を解体して数多くの国を独立ないし復活させたが、戦勝国側は自分たちの植民地支配体制は維持したままだった。特に中東では旧トルコ領土のイラク・ヨルダン・パレスチナをイギリスが、シリアとレバノンをフランスが委任統治領として支配した。このあたりの国境が直線になっているのを見れば不合理なことがわかる。

 先ごろシリア反政府勢力の一部のアルカイダ系過激派がイラクのスンニー派と結んで「イラクとシリアのイスラム国」を結成し、その後さらに普遍的な「イスラム国」と称している。これは過去90年の人為的な国境を廃止する動きとも取れる。

 もう一つ、毎日悲惨な状況が報じられているガザの問題がある。その根本的な原因はイスラエルの建国にある。

 イギリスは第1次世界大戦以来、パレスチナ人とユダヤ人の両方に独立を約束していた。アメリカの豊かなユダヤ人の中には、元奴隷の黒人たちのためにアフリカに土地を買ってリベリアという国をつくったように、どこかにユダヤ人の国がつくれないものかと考えていたけれども、ヨーロッパのユダヤ人(アシュケナージ)はかつてヘブライ王国があったパレスチナにこだわり、20世紀に入ると徐々にこの土地に移住しはじめた。

 パレスチナの統治に嫌気をさしたイギリスは、統治権を放棄して、ここにユダヤ人とパレスチナ人の連邦を結成させれば一挙に難題が片付くと考えて、第2次大戦後国連の手にゆだねることにした。当時ソ連にも40万人近くのユダヤ人がいた。スターリンはユダヤ人の国ができればソ連も身軽になれると思ったらしい。こうしたことから1948年に国連総会でイスラエルの分割独立が承認された。

 この決定は大誤算だった。放っておけば、パレスチナ人とユダヤ人は今ほどいがみ合うことなく共存できたであろう。独立直後のイスラエルの地図を見れば驚きを禁じ得まい。イスラエルの国土の中に主権の及ばないたくさんのパレスチナ人居住区があった。アラブ陣営では今のうちにイスラエルをつぶそうと戦争を仕掛けた。これが第二の誤りだった。国際的にイスラエルの独立が承認された以上、アラブ諸国はそれを尊重すべきだった。戦争はイスラエルの一方的な勝利で、その結果国土の穴ぼこは解消された。

 その上に1967年の六日戦争(第3次中東戦争)でイスラエルはエジプトのシナイ半島とヨルダン領のヨルダン川西岸を占領した。のちに事実上のイスラエル国家承認と引き換えに両占領地を返還することにしたが、エジプトは過激イスラム教徒の拠点となっていたガザの受け取りを拒否し、ヨルダンもパレスチナ難民の結集するヨルダン川西岸地区を放棄した。イスラエル政府が両地域に壁を築いて自由な通行を遮断しているのにはそれなりの理由がある。

 ガザの住民は食料もままならず、困窮状態にあるが、イスラエルの存在を認めないハマスは一般大衆を盾としてイスラエルに対するロケット砲撃を続けている。

 ヨーロッパと中東は戦後の冷戦のために戦争処理の講和条約が結ばれなかった。そこで1975年にヘルシンキで欧州安全保障協力会議を開いて第2次大戦後のステータス・クオ(現状)を変更しないと決定した。

 ロシアは日本にも同じことが適用されると称しているが、アジアは個別に条約を締結してきたのであって、ロシアもそれはわかっている。だから日本と条約で合意できなければ北方領土の地位が確定できないのだ。

 国とは一定の領域を持ち、域内の住民を有効に統治していることを条件としている。だが、台湾のように独立国の要件を備えていながら国連に加盟できない例もあれば、実態がないのに国同様に扱われている場合もある。互いに国家であれば交渉の余地があるが、最近のテロ集団とは一時的な停戦の申し合わせはできても、恒久的な取り決めの相手もはっきりしない。国際的パラダイムはもはや完全に様変わりしたのである。

(おおくら・ゆうのすけ)