「呻吟語」に学ぶ心の処方箋

根本 和雄メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄

人生を豊かにする品格

「超高齢社会」に生きる秘訣

 いま、我国の人口は総務省の推計によれば65歳以上が25%を超えて、3190万人に達している(2013年10月)。更に、2055年には75歳以上の割合は総人口の26・5%になると推計されている。このような状況において、人々は「老い」の問題に直面しつつどのように、その人らしい人生を全うするかは極めて重要な問題である。迫り来る「老い」を糧にして、いかにウェル・エイジング<well ageing>するかは、豊かな人生に極めて大事な問題ではないかと思うのである。

 “老いるは嘆くに足らず、嘆くべきは是(こ)れ老いて虚(むな)しく生くるなり(老年はべつに嘆く要はない。嘆くべきは老いて無意味に生きることである)”(修身)

 この言葉は、16世紀末頃の明に、知識人として自分の責務を全うし、自己に厳しく生き抜いた呂坤(りよこん)(1536~1618年、字(あざな)は新吾)の人生への呻吟(しんぎん)の言葉である。その言行録が『呻吟語』で、これは同時代の洪自誠の『菜根譚(たん)』と双璧(そうへき)する書で人生に対する鋭い省察を、呂新吾が30年に及ぶ良心の呻(うめ)きから得た実践の箴言(しんげん)の書である。

 従って、いま私たちがこの言行録を味わうことによって、どのように老いの人生を歩むべきかについて実に示唆に富んでいる。新吾という号は、天地に包まれていた時の旧(ふる)い吾(われ)と、この世に誕生して以後の新しい吾とを対比しつつ、新しい吾を発揮することがそのまま旧い吾に還る意味をもつことを託したものであるという。

 そして『呻吟語』の執筆の動機について、呂新吾はこう述べている。

 「呻吟とは病人のうめき声である。呻吟語は、病気にかかった時の痛みの言葉である。病中の痛みは、病人だけが分かる。他人には分かってもらえない。その痛みは、病気の時だけ感じる。なおってしまうと、すぐに忘れてしまう。私は生まれつき体が弱くてよく病気にかかった。病んでいるとき、うめき声をあげると、その苦しさを記して自分で後悔し、気をつければ二度と病気にかからないだろう、と思った。だが気をつけないために、また病気にかかり、また苦しみを書きつけた」(自序)と。

 さて、この『呻吟語』から老いの豊かな人生の秘けつを汲み取ってみたいと思う。“福は禍なきより大なるはなし。禍は福を求むるより大なるはなし(最も幸せなことは、禍いのないことであり最も不幸なことは、幸せを探し回ることだ)”(人情)。“世に処するには、ただ一の恕の字(処世で大事なことは、相手を思いやること)”(応務)。つまり、平穏無事で暮らせることが最も幸せであるし、相手の立場になって心穏やかに相手を許す(恕)ことを大事にすることであるという。また、こう述べている。

 “衰老病死は、これ我独り当る。妻子と雖も代わること能わざるなり。自ら愛し自ら全くするの道は、自ら心を留めずして、誰に頼らんや(私の衰え、老い、病い、死は妻子といえども代わることはできない。自らを大切にし最期まで生き抜くには、自分で自分自身のことに気をつけて、誰に頼ることもできない)”(養生)と。

 更に“臨終の時には、何も身につけて行くことはできない。ただ心だけを身につけて行けるのに、人びとはそれをだめにしている”(存心)と。

 誰にも訪れるであろう人生の旅立ちに、心穏やかに生かされた生命(いのち)に「有難う」と感謝の言葉を身につけて永久(とわ)の眠りに着くことを切に念じる思いである。

 “死するは悲しむに足らず、悲しむべきは是れ死して而(しか)も聞こゆるなきなり(死ぬことは悲しむには及ばない。悲しむべきは、死んで世の人々に忘れ去られることである)”(修身)と。

 確かに、「一生の終わりに残るものは、自分が集めたものでなく、自分が与えたものである」(ジュラール・シャンドリ)という言葉を改めて想起せずにはいられない思いである。『呻吟語』は、呂新吾が、自らの人生、その生き方に呻吟(うめき声)しながら、病んで書いて、書いて病んだ30年に及んだ記録である。36歳で科挙の試験に合格し、県令(県知事)に任命される。後に政治の混乱を憂えて、国政の改革案を上奏した。これが逆に呂新吾を非難・中傷にさらされる結果となる。然し、何の弁解もせず、病気を理由に職を辞したのが62歳のときである。

 以来、82歳で亡くなるまで、質素な生活を送りながら、弟子を集めて日々学問の研究に勤(いそ)しんだ。いま、呂新吾の『呻吟語』を読むとき、自らを厳しく見つめ、思い悩み、深く反省した生き方を身につけ己の良薬としたいと思う。そして、豊かに生きる秘けつについて、呂新吾はこう述べている。

 “心平らかに気和らぎ、而して強毅(きようき)にして奪うべからざる力あり、公(こう)を乗(と)り正(せい)を持(じ)し、而して円通(えんつう)にして拘(こう)すべからざる権あれば、以て人品を語るべし(もの静かで穏やかだが、強い決断力と何にも屈しない意志をもつ。公正な心をもちつつ、物事に臨機応変に対処する。これが品格である)”(品藻)と。

(ねもと・かずお)