世界最高峰めぐる国の争い

金子 民雄歴史家 金子 民雄

聖なる秘峰も今や俗峰

エヴェレストに及ぶ商業主義

 日本に住んでいると、どこを向いても山だらけ、山のない場所などない。だからかどうか知らないけれど、2年後(2016年)の8月11日を、「山の日」の祝日にするという。この日を山の日にする何か特別の意味があるのかどうか、私は不肖にして知らない。ただ日本を代表する山といえばやはり富士山で、同じ山があってもこれほど秀麗な山はないようだ。その富士山とエヴェレストを姉妹山として、日本とネパールの山岳関係者が環境保全のために提携する発表もあった。

 山の代表といえば、やはり世界最高峰のエヴェレストといえるだろう。この山も第2次世界大戦が終わって8年たった1953年に、英国登山隊に初登頂され、やっと長い登山の歴史にけりがついた。1921年に、初めて登山を開始してから、繰り返し試頂されたのにことごとく失敗し、やっと30年ぶりに成功したのだった。まあこの間に戦争もあったのだが、たかが一つの山に登るのに莫大な労力と資金をかける価値があったのだろうか。世界最高峰というのはそれだけ意味があり、宣伝効果も大きいことなのだろう。

 山といえばどんな名峰といえ、初登頂されればただの山となり関心はずっと低くなる。登山費用もばかにならないし、個人の遊びゲームではとても割に合わない。ところが最近、エヴェレスト登山ブームがこれまでと違った意味で始まったようだ。登ることは登るのだが、その登る目的がこれまでのものとすっかり違っているらしい。エヴェレストを利用する手段というか方法が、これまでのような団体ではなく、個人宣伝にうってつけということらしい。これは自由だし、なにに利用しようとかまわないだろう。

 登山といえば、これまで男の世界と思われていた舞台に、女性が挑戦して成功すれば、たちまち花形の超有名人の仲間入りをする。しかし、これもむずかしい山であっても同じ手口は、そう幾度も使えない。なら次に何歳ならこれに登れるか。これも、もし80代で成功するならば、その宣伝効果は抜群にちがいない。

 ここでエヴェレストの歴史など触れるつもりはないが、19世紀初めインド測量局でピーク15といわれていた、ネパール・ヒマラヤの一峰が、1852年に世界最高峰(8840㍍)と確認された。では現地でなんと呼ばれていたか探したものの見つからず、そこで前インド測量局長官だったサー・ジョージ・エヴェレスト(英国人)の名をとって、マウント・エヴェレストと命名されることになった。だからこの山はマウント・エヴェレストが正式の名で、ただエヴェレストといえば人名になってしまう。

 世界一の名峰となると、やはりただの山と違って、煩わしい問題がきまって付きまとってくる。まず山の所属をめぐる民族的、国家的、政治的な問題である。この山は一体ヒマラヤ山脈のどこにあるのか、その所属国が分からなかった。どうやらネパールかチベットの領有下にあるらしい。ところが当初、ネパールはこの山の名はないということだった。事実上、山の存在も否定したようなものだった。ところが1920年、英国側がチベットのダライ・ラマに登山許可を求めたところ、その登山許可書に、モン・チョモランマという山名が記入されていた。ここで注意すべきは当時、中国はこの問題に一切関係はない。チベット政府は独立国家として、英国側と折衝したのだった。

 これまでただの登山の対象でしかなかったエヴェレストが、いよいよ政治的舞台に登場したのである。チベット政府は英国隊に登山許可を出し、北側のチベット領内からの登山隊入国を受け入れた。しかし、ネパール政府は外国人の入国を拒否し、山名もなしとした。ただ、どうやらエヴェレストは、ネパールとチベットの国境に山裾がかかっているらしい。

 1945年、第2次大戦が終了すると、エヴェレストにも新風が吹き始めた。これまで頑なに鎖国政策をとっていたネパールは門戸開放し、英国隊がこの新ルートをとって、1953年に念願の初登頂に成功した。ただこの背後では、1949年、中国に新しい共産主義国家が樹立され、チベットは国家として消滅する運命になった。それにいま一つ、英国側もこれまで使われていたマウント・エヴェレストを、ただのエヴェレストとして呼ぶようになり、神聖なる山はただの俗っぽい山になったのだった。ただ日本人はどちらだって関係ないだろう。

 これまでの国家的シンボルが、商業主義の看板に華麗に変身を遂げたのだ。驚いてはいけない。ネパールはいま、この入山料で年間2億円稼いでいるという。ただ先年の北京オリンピックの際、聖火リレーコースをエヴェレスト(中国名チョモランマ)を通す案があったらしいが、どうやら直前に中止になったようだ。理由は知らないが、この時この背景の記事を書いた拙文は、日本の山岳雑誌ではどこからも受け取りを拒否された。エヴェレストと書けば中国を、チョモランマと書けば西側を刺激するのを恐れたかららしい。他人や周囲を気にする日本人の根性からだろう。ただこうした日本の山岳雑誌はこのところ次々と消えていったようだ。

(かねこ・たみお)