高橋是清と在英ユダヤ大富豪

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獨協大学教授 佐藤 唯行

日露開戦後の資金調達

エドワード7世拝謁に一役

 日露戦争開戦直前、欧米の金融市場での資金調達を急務の課題としていた日本政府首脳はユダヤ大富豪の財力とネットワーク、彼らへのアプローチの重要性を適確に認識していた。それを物語る史料が1904年1月15日、外相小村寿太郎から在英公使林董宛の電信文だ。ロスチャイルド家等のユダヤ大富豪に至急接近し、コネを築けと命じているのである。

 国際資金調達をなりわいとする英投資銀行家の世界ではユダヤ系の存在感は突出していた。英ロスチャイルド家の創始者ネイサンが死亡する1836年から第2次大戦が勃発する1939年迄の間、ロンドン金融市場で活動した個人資産100万ポンド以上を保有する投資銀行家は僅かに31人に留まるが、その内、ユダヤ系は24人を占める大勢力であった。

 それ故、日露開戦直後、資金調達の大任を帯びてロンドン金融市場に乗り込んだ日銀副総裁高橋是清は訪英中の在米ユダヤ大富豪、ジェイコブ・シフのみならず、地元ロンドン在住のユダヤ大富豪たちにも積極的に働きかけを行ったのであった。(上述の林董は高橋のサポート役に他ならなかった)。在英ユダヤ大富豪たちは高橋の求めにどう応えたのか。

 彼らの筆頭、ロスチャイルド家の当主ナサニエルの個人資産は2500万ポンド。日露戦争中の日本の主力艦隊(戦艦6隻、装甲巡洋艦8隻)の代価、1300万ポンドの2倍弱に達する莫大な金額だ。彼は「自分の銀行は1875年以来、ロシアへの融資を行っていない」と自身のロシア嫌いを吹聴し、また日本に同情的な人物であった。しかし、「交戦中の国家に対しては資金調達に協力しない」という家訓に縛られ、身動きがとれなかったのだ。ロスチャイルド家が日本の資金調達に対して遅ればせながら主導的役割を果たすのは1907年、戦後経済立て直しのために日本政府が行った外債発行においてであった。

 けれど、日露戦争中、英ロスチャイルド家が日本のために何もしなかったというわけではない。腹心のアーサー・レヴィタ(1865~1910)を通じて、仏金融市場におけるロシア側の外債募集状況や軍艦購入の試み等、日本にとり貴重な情報を高橋に伝え続けていたからである。レヴィタは英ロスチャイルド家当主の弟、アルフレッドとはどんな裏話も語り合える肝胆相照らす仲であり、ロスチャイルド家と高橋をつなぐ連絡係の任を当主ナサニエルから命じられていたのだ。

 高橋自筆の「外債募集英文日記」の中で最も頻繁に登場するユダヤ人であり、滞英中の高橋と最も長い時間を共有した情報提供者、相談役だったのである。協力に感謝した日本政府は戦後レヴィタに勲四等旭日章を贈っているほどだ。レヴィタ自身は大富豪ではないが、ロンドン金融市場でも有力な株式仲買人で33万ポンドの個人資産を残している。彼の父エミールはドイツのマインツから渡英したユダヤ移民で、英国の現首相デービッド・キャメロンの曽祖父にあたる人物だ。

 当時、ロンドン金融市場でナサニエル・ロスチャイルドに次ぐ大立者がアーネスト・カッセル(1852~1921)であった。シフと同じくドイツ生まれのユダヤ人で10代で渡英。一代で730万ポンドの富を築いた金融業者だ。

 シフとは長年にわたり共同出資事業を行ってきたビジネスパートナーの間柄だ。40年間に及ぶ両者の友誼(ゆうぎ)を物語る証拠として、シフからカッセル宛てのドイツ語書簡が1500通も残存していることが知られている。

 カッセル自身は日本公債引受団に加わらなかったが、引受団結成の際に重要人物同士を引き合わせる役まわりを演じている。高橋是清の秘書、深井英五は「高橋とシフとのドラマチックな出会い」はカッセルにより仕組まれたと回想録の中で推測している。また日本の国情に疎かったシフに対し、日露戦争の原因について日本側に好意的な説明を行い、シフが高橋や日本政府とその後、親密な関係を育むのに一役買っている。カッセルの強みは英国王エドワード7世から絶大な信任を得ていたことだ。王がいまだ皇太子の時分から財政顧問として仕え、資産運用をまかされ、そこで築いた信任だ。英王室が自分に寄せる愛顧を利用して、カッセルは1905年5月と7月に、親友シフとそのパートナー、高橋に対し援護射撃を行っている。ふたりがエドワード7世に拝謁するお膳立てを整えたのだ。

 席上、王は「シフが日本公債発行を引き受けたことを非常に満足に思う」と述べたのだ。この拝謁のニュースは国際金融市場におけるシフ・高橋の立場、つまり日本の立場を強める効果を持った。米英協調による対日資金調達を英王室が評価している事実を世界に向けてアピールし、日本公債購入に向けて英米投資家たちの意欲を盛り上げたからである。この功によりカッセルは明治天皇から旭日大綬章を授けられたのである。

 日露戦争中、日本を助けたユダヤ大富豪と言えばアメリカのジェイコブ・シフが有名だが、英国にも恩人たちがいたことは忘れてはならない。

(さとう・ただゆき)