付和雷同するマスコミの罪
事実報道を怠る反対論
「講和」から秘密保護法まで
ジャーナリズムは「社会の木鐸(ぼくたく)」と言われるように世間の実相を伝える機関であるが、日々の行政府の発表に対して批判的な視点で論評を加えることも大事な役割である。しかし、最近の新聞は公平に事実を報じることを怠り感情のままに反対論を述べているように思われる。
例えば『特定秘密保護法』について「戦前への逆戻り」とか「オスプレイを撮影したら罪に問われる恐れがある」などという記事は論理的な根拠がない。これは1958年の警察官職務執行法改正案の審議中に「デートもウカウカしておられない」と煽(あお)ったのと同工異曲である。
フルシチョフは回想録で、スターリンが51年のサンフランシスコ平和条約に署名を拒否したことを非難している。ソ連がこれに調印していたら千島の領有権問題が残ることはなかったに違いないが、日本に自国公館の設置が認められなくなり、スパイ天国の日本で情報収集ができなくなったのは致命的だった、と書いている。56年の日ソ共同宣言でソ連は東京に大使館を開き、その後外交官・特派員・通商関係者の形で、今に至るまで大っぴらに諜報(ちょうほう)活動を行ってきた。各国の機密保護類似の法律の罰則は極めて厳しい。本来ならばわが国もスパイ防止法を制定して取り締まるべきである。
サンフランシスコ平和条約は米国が主導して進めたもので、その直後に米軍の駐留継続を承認する形の日米安全保障条約の締結が用意されていたから、ソ連はこれを阻止するために日本国内で強力な宣伝戦を展開した。のちに明らかになったところによれば、ソ連は日本共産党と日本社会党に対して秘密裏に多額の資金援助をしていたという。知識人の一部はこれに同調して、対日戦争に参加したすべての国との「全面講和」による非武装・中立の樹立を提唱した。
多くの新聞もこれに傾いた。けれどもそれには米国が絶対に同意しないので、占領が無限に続くことになりかねなかった。敗戦後6年を経過していたから日本国民の圧倒的多数も連合国総司令官オールマイティーに飽きていた。そこで「片面講和」とさげすまれた会議に交戦国のほとんどの49カ国が参加したのである。この時に独立を回復しなかったら、その後の日本はどのようになっただろうか。
この条約発効の翌年4月28日にポツダム勅令の団体等規制令が失効するために、吉田内閣は破壊活動防止を閣議決定した。目的は暴力主義的団体の活動制限と解散にあった。たちまち全国に反対運動が巻き起こった。大学新入生の石原慎太郎も国立(くにたち)駅前で反対の署名を求めていた。もっともこれは共産党や朝鮮総連が危惧したほど強烈な法律ではなかった。その証拠に、95年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は、公安審査会で破壊活動団体とは認定されなかった。
反政府的大衆抗議行動で最大の事件は、60年の安保改定(正しくは新・日米安全保障条約締結)騒動である。旧法は日本側に基地提供の義務だけを定めた従属的なものだったのを、政府は1年がかりでアメリカを説得して双務的に駐留米軍に日本防衛を約束させた。にもかかわらず左翼陣営は、これを機会に安保条約そのものを廃棄せよ、と扇動し、5月20日の自民党の衆議院単独強行可決から6月19日の自然成立まで、連日国会をデモ隊が包囲し、15日には全学連主流派が国会に突入して警官隊と激突、女子学生が死亡した。岸首相は一連の事件の責任を取って退陣を表明したが、同時に後楽園球場が満員であることを示して、「国民の声なき声の支持がある」と語った。これは確かに一面の真理であり、現在、尖閣諸島有事の場合、在日米軍が出動するのは当然のこととされている。先見の明があったというべきであろうか。以来、「革新派と反対の政策を採れば日本は発展する」というブラックジョークがまかり通る。
監視カメラにも初期には人権運動家の集団から「個人情報が侵害される」という反対の声が上がった。しかしながら最近は犯罪の防止にも犯人の検挙にも役立つことが証明されていて、各所で設置の希望が増大している。
私は東京オリンピックの前後約3年半ロンドンに駐在した。ちょうど13年ぶりに保守党から労働党に政権が移行する時期で、興味ある見聞ができた。それから半世紀、大英帝国の国際的な地位は著しく低下したが、あの国の政治的な成熟度にかげりはない。
ヨーロッパの大陸諸国では、減税だとか移民排除だとか、いわゆるシングル・イシューを標榜(ひょうぼう)する政党が一時的にかなりの票を集めたり、国民投票を行ったりするものの、その結果は矛盾したものになることがわかっているから、イギリスでは反対デモや集団の抗議があっても、それを個々に解決しようという動きにはならない。
日本の新聞・テレビで頻繁に報じられている原発廃止要求のプラカードの国会周辺行進は無責任そのものである。自然エネルギーは十年やそこらで僅かでも採算が取れるようになるとは思えないし、火力発電で国全体の需要を賄おうとすれば国家財政の赤字は膨らみ続ける。また、原発は最終処理場がないから全廃すべきだと称するが、最終処理場がなければ廃炉にすることもできない。
イギリスではそうしたことを総合的に判断するのは総選挙で多数を獲得した政府だと常に考えられている。
(おおくら・ゆうのすけ)