「免疫力」を保つ養生の秘訣

根本 和雄メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄

天理の自然に従うこと

老いを健やかに生きる旅路

 昨今、生活のリズムが崩れて心身の不調を訴える人々が増え続けている。それは取りも直さず「免疫力」の低下に外ならないのである。その「免疫力」を保つためには、未だ病気に至らない状態で、「養生(ようじょう)」に努めることほど大事なことはないのである。

 “未病(みびょう)を治す”という言葉がある。即ち、“未(いま)だ病まない状態を治す”と「黄帝内(こうていだい)経(けい)」(素問)にあり、その意味は「病なき時かねて養生を怠らずよくすれば病生ぜず」というのである。

 もともと「養生(ようせい)」とは“天理の自然に従うことが養生の秘訣(ひけつ)である”(「荘子」)とあり、これは生命を養って長生きをすることである。

 「老荘の哲理」(老子・荘子の思想)によれば“愛憎憂喜の感情を心に留めずに体気を和平ならしめる”ことこそ養生の要訣であるという。そして大切なことは「吐故納新(とこのうしん)」(「荘子」)つまり「古(ふる)きを吐(は)いて新(あたら)しきを納(おさ)める」という呼吸法を実践することが養生の道であり、自然のリズム(摂理)に支えられて、生理的代謝機能を常に正常に保つことが求められているのである。それと同時に、感情(心気)を乱さずに平(たい)らかに保つことも養生の要(かなめ)なのである。

 確かに、江戸時代の儒学者、貝原益軒(1630~1714年)の『養生訓』(1713年)に“養生の術は、先(まず)心気を養うべし。心を和(やわらか)にし、気を平(たい)らかにし、怒り、憂い、思いを少なくし、心を苦しめず、気を損なわず、是(これ)心気を養う要道なり”と述べている。感情の動揺つまり情動障害が病気の要因であることはよく知られている如くに、“心配は身の毒”の諺や“白髪三千丈、愁(うれ)いによりてかくの如く長し”と李白の「秋浦歌(しゅうほのうた)」に述べられている。

 また、鈴木正三(しょうさん)(徳川時代初期の禅僧)は“喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情あり、この七情より万病発(おこ)る”と『万民徳用』で述べている。

 さて、老いを健やかに生きる養生の秘訣について具体的に述べてみよう。

 素直に「老い」を受け入れること。(P・トルニェという人格医学者は“幸せな生き方とは、自分の年齢を受け入れること”であるという)

 好奇心を常に失わないこと。(老化は好奇心を失うことから始まるという)

 前向きな建設的な考え方を持つこと。(精神科医のA・アドラーは、人間のすばらしい能力はマイナスをプラスに変える能力であるという)

 感謝の心を持ち続けること。

(有難うという気持ちを持つとオキシトシン<oxytocin>という幸福感を促す物質がでるという)

 上手に諦めること。(物事を善意に肯定的に割り切ること)

 心を柔軟に保つようにすること。(常に臨機応変にしなやかさを保つこと)

 自分の人生に目標を持ち続けること。(米国の老年学者、バトラー教授は人生に目標を持つことが長寿の秘訣であるという)

 バランスのある「食養生」を実践すること。(食のクオリティーは人生のクオリティーなり)

 概(おおむ)ね7時間前後の熟眠を心掛けること。(免疫力を保つ時間帯<午後10時~午前3時>を大切に)

 日常の瑣事(さじ)を疎かにしないこと。(フランクリンは“幸せは小さな便宜から生ずる”と)

 これらの具体的な十カ条を無理せず実行し「老いの人生」を潤いのある「老熟期」へとクリエートしたいと思うのである。加えて、そこには避けられない問題がある。即ち、それは「病い」と「死」の問題である。

 これまで歩んできた「来(こ)し方」・「行く末」を思うとき、人は病んではじめて人生を知るのではなかろうか。その意味で「病む」ことは、まさしく「恩寵(おんちょう)」という他はないのである。病んではじめて「気づく」ことが実に多くあり、これが「病いの人間学(アンソロポロジー)」ではないかと思うのである。

 さて、老いの人生に求められるのは「死」と対峙し、死を問いつつそれに応える生き方ではなかろうか。M・ハイデッガーは“本来的な生き方とは、死を覚悟し、自覚して臨むことである”と言う(「存在と時間」)。死はその人の一生の締め括りであり、生涯を完結させる終焉である。

 その終焉(しゅうえん)への旅路を、一日一日そして今時(こんじ)此(この)時(とき)を丁寧に大切に生き抜くことは、老いの健やかな人生の秘訣ではないかと思うのである。

 おわりに、道教(老荘思想)の言葉を意味深く味わいたいと思う。

 働くために生まれ、

 憩うために老いが与えられ、

 そして、

 休むために死が与えられる。

(ねもと・かずお)