グローバリズムの落とし穴

NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之

久保田 信之カネ稼ぎが損なう文化

麗しいローカリズムを作れ

 一時、日本では「国際化」という表現がもてはやされた。しかも、多くの場合、「国際化」とは「アメリカナイズ」を意味していたようだ。その原因は、アメリカの世界戦略や経営システム、さらには社会生活を学ぼうとする機運が、他の国以上に日本全体に浸透していたからといえる。

 第2次世界大戦後、日本の学界、経済界は、ドイツ、フランスすらも「国際化の主役」から退かせた。新聞をはじめとする各メディアは、アメリカ報道に多くのスペースを割き、ヨーロッパ諸国を報じたものが少なくなった。「国際化」とは「アメリカ化」の代名詞になっていたのだ。

 最近では、「グローバル化」が多用されている。これは「カネ」がすべての価値観を凌駕(りょうが)して、地球上を駆け回り始めたことに原因したといえよう。日本の金融各社も国内産業を発展させて収益を増やす健全な活動を忘れて、カネでカネを稼ぐ「ウォール街の資本主義」に激しく傾斜していった。製造業においても、部品は多様な国や地域から調達し「地球規模の商売」を展開しているし、それ故、「グローバル化」との表現の方が、時代に合致したものになったからかもしれない。

 このような「広い世界を相手に、何億、何千億といった収益」をあげるグローバル化を実践している大企業は、環太平洋連携協定(TPP)に参加することによって、①貿易の自由化がさらに進み日本の輸出額が増大する②整備・貿易障壁が撤廃されるから企業内貿易が効率化して利益が上がる③GDPが10年間で27兆円増加が見込まれる、その他「強者」が享受できるグローバル化のメリットを掲げて論陣を張っている。

 しかし、一方では「聖域なき関税撤廃」によって、①海外の安価な商品(特に農産物)が流入してくるからデフレが再燃する②食品添加物、遺伝子組み換え食品、残留農薬などの規制が緩いアメリカの攻勢が強まる③医療保険の自由化、混合診療の解禁による医療格差が生まれる④国内法の改正を迫られ日本独自の規制が壊される危険性が高まる⑤ISDS(投資家・国家間の紛争解決)条項を活用され、日本政府や自治体に法外な賠償を請求される事態が生ずる、などの疑念を掲げてTPPに反対する声も大きいのが現実のようだ。

 ここでTPPに深入りする気はない。むしろ、この問題の根底にある「数の力」がもつ「グローバリズムの落とし穴」に注意したいのだ。

 グローバリズムに乗って、巨額を稼ぐ企業を重視して、年間数百万の利益も難しいという中小・零細企業を軽視したり、「日本の農業全体の収益よりトヨタ一社が挙げる収益の方が多いのだ」といった一面的な論評を下す「強者」は、「東北の復興にカネをつぎ込むくらいなら成長産業を育成すべきだ」と、「東北見放し論」こそ正論と平然と言い放つ。

 さらには「日本語を学習するよりもグローバル・スタンダードである英語を習得させよ」、「しっかりと自己主張するように育てよ」に始まり、グローバリズム経済時代に生き残る道は「年功序列をやめて徹底した能力主義に変わるべきだ」、「若年でも有能な者には高い年収を与え、年収の額が人の優劣を認識できるようにすべきだ」など、日本になかった基準を賛美して「日本独自の基準」を破壊しようとしている。

 収益を追う数の論理によらず、質に重点を置いた発想が「ローカリズム」だ。安倍晋三氏は、かつて「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるであろうと思います。……ウォール街から世界を席巻した、強欲を原動力とする資本主義ではなく、正義とを重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります」と言い、「故郷には労働生産性が低いかもしれないが、美しい棚田があり、その田園風景があってこそ、麗しい日本はあるのです。伝統、文化、地域が重んじられる瑞穂の国にふさわしい経済の有り方を私は考えます」と明言していた。

 その他、『新しい国へ、美しい国へ 完全版』(文春新書)の中で、先人が長い歴史の中で形成し、維持し、洗練してきた麗しいローカル・スタンダードを高く評価していたのが安倍晋三氏の本心だと思いたい。

 明治初期の「惨めな欧化主義」の再来を思わせる「グローバリズムの蔓延」は、日本人をユダヤ人やシナ人、あるいはインド人、アラブ人と競わせるつもりなのか。

 世界に例のない長く豊かな歴史に裏打ちされた、細やかな心配りという、世界に誇れる日本独自の文化なり精神の価値を忘れた「異邦人」に日本人がなるわけにはいかない。カネ稼ぎの修羅場に日本人を導くよりも、世界が称賛する日本文化を洗練させ、発信することこそ、世界性のあるローカリズムの形成であることを今こそ深く自覚したいものだ。

(くぼた・のぶゆき)