安全保障と歴史認識の闘いの年 平和ボケと沈黙癖を脱しよう

山田寛

 2015年。中国は「抗日戦争勝利70年」を大宣伝し、海洋進出(侵出)もさらに強めるだろう。日本外交、安全保障の正念場の年だ。

 安倍・自民党は、総選挙の勝利直後から、「国民の理解を得て、今年の通常国会で集団的自衛権行使を認める、安全保障法制整備を目指す」と明言している。

 だが、選挙戦ではそれに関しできるだけ沈黙していた。

 世論調査で、集団的自衛権行使容認反対は賛成を大きく上回るので、沈黙するが勝ちと判断したのだろうが、国民の理解を得る作業は、選挙戦から行うべきだ。

 野党側も言語不明瞭で、共産党だけが「平和外交で話し合い解決」「北東アジア平和協力」と、甘過ぎ言葉を並べた。選挙という最重要時に、与野党が国の安全保障の最重要問題をきちんと語らない。左派メディアは、国の周辺状況より、他国の持つ権利でも日本が持ったら戦争をすると、日本人の好戦DNAを心配している。

 私も戦争は絶対嫌だ。だが、こうした状態を見て思う。やはり平和ボケの国だ。

 1991年の湾岸戦争直前、ワシントン駐在記者の私は、ある下院議員に怒鳴られた。「日本人は自分さえ安全ならいいのか」

 イラク軍は大量破壊兵器も保有し、開戦となれば米軍にも大量の犠牲が出ると見られた。暗く沈んだ街には、派遣兵士の無事帰還を祈る黄色いドア飾りがいっぱい。赤ん坊を預けて派遣される予備役の母親の話などが、盛んに報じられていた。

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昨年12月13日、中国の南京で開かれた「国家哀悼日」記念式典で演説する習近平国家主席(AFP=時事)

 米国は日本にも、シーレーン(海上交通路)防護などのため、人や船の参加を望んだ。日本政府は、自衛隊派遣はできないから、地域医療協力や輸送船派遣で民間を頼んだ。だが、海員組合は「危険海域はお断り」。医療チームも人が集まらない。官民が危険を相手に押し付けるババぬきばかりしているようで、米紙にも怒りの投書が載った。

 米国の母親は兵士だから死んでもよい、日本の海の男はごめんだ、でも平和になったら原油輸送シーレーンを沢山使わせてもらいます、という調子では、憲法を理由にしても、米世論がアンフェア感で憤るのも無理ないと思った。

 今、米国が片務的に日本防衛のため血を流してくれると考えるのも、甘過ぎる。

 数年前、私は大学で安全保障関連のアンケート調査をした。「国が侵略されたらどうするか」の質問に、「防衛は自衛隊と同盟軍に任せ、自分は普通の生活を送る」「外国など安全な所に避難し、戦争終了を待つ」という答えが合わせて半分以上を占めた。中国人留学生は、「何らかの形で国を守るため戦う」が大半だった。

 習近平・中国国家主席は、昨年末も「南京大虐殺で30万人が殺された」と宣伝数字をあげ、「歴史改ざんを許さない」と主張した。中国人留学生と話すと、「中国が行った戦争はみな正義の戦争です」と、平然と言う者がいて驚く。何度も繰り返し強調したい。特に歴史認識の闘いの今年、中国や韓国の誤った歴史認識に対しても、沈黙していてはダメだ。お互い反省すべきは反省しよう。

 2000年のシドニー五輪の柔道決勝戦で、日本の篠原信一選手が誤審で金メダルを逸した。試合直後、彼自身は「自分が弱いから負けた」と潔く言い、判定について沈黙を通したが、私は学生たちにこう言った。「国際社会では、自分が正しいと思ったら発言すべきだ。篠原選手も、『沈黙は金』でなく銀だったじゃないか」

 今年、沈黙は銀でもなく、くず鉄ともなってしまうだろう。

元嘉悦大学教授