テロとの闘いと哀悼と 日本はやはり弱い環なのか
テロ、テロ、テロで年が始まり、日本人人質2人も虐殺された。2点言いたい。
第1点は、普段からの対テロ国際協力強化が絶対重要なこと、だが日本は、国と国、各国内の分断をねらうテロ組織の前で、最も分断されやすい弱い環のままに見えることだ。
30年前、私が読売特派員でいたパリも、多い時は2日に1回爆弾テロが起きていた。そんな時、ミッテラン仏大統領(当時)が読売新聞との会見で、こう提案した。「テロ絶滅のため国際合意が望ましい。各国の政策決定の自由と独立を保証した上で、警察、秘密機関による情報収集や、行動面、必要なら軍事面にも及ぶテロ防止国際協力組織を設置することだ」。この提案は、仏各紙や欧米で大々的に転電された。だが、組織設置はなかなか実現せずにきた。
特に、日本は海外のテロを「対岸の火事」視し、巻き込まれた時だけ大騒ぎしてきた。「テロに屈せず」「人命第一」の方針を打ち出したが、1997年のペルーの日本大使公邸占拠事件でも、一昨年のアルジェリア石油施設襲撃テロでも、後者は当事国から無視された。今回、この二律背反的方針両立の困難さが、一層明白になった。
ミッテラン会見の前、私はレバノンで当時のテロの元締め、イスラム過激派「ヒズボラ」の精神的指導者と会見した。その聖職者は、「我々の敵は米欧の政権で、国民ではない」と力説した。政権と国民の分断策だが、わずかながら民衆への共感も伝わってきた。今「イスラム国」は敵愾(てきがい)心だけのハリネズミ。でも日本は分断されかかる。
先月、朝日新聞の夕刊コラムは、パリのテロを「国外に軍隊を送る国の現実」と書き、ナイジェリアの少女自爆遠隔操作テロを、大戦時の特攻隊になぞらえた。国会議員も「テロも何も安倍が悪い」とつぶやいた。最大の関心事は安倍政権反対で、テロ問題もその材料なのだ。こちら岸が火事でも、テロとの闘いをなお対岸視している。今後対テロでも「断固安倍流」と「イケイケドンドン警戒論」の分断が生じるだろう。だから、弱い環なのである。
日本人が標的にされないよう、対テロ有志連合などと距離をおくべきとの意見も出ている。新聞に「憲法9条の発信こそ、最も有効なテロ対策」「平和国家を壊すな。テロ集団をたたくより…」といった投書が続く。どこでも狩り出され、憲法9条も忙しい。
一国平和はない。ミッテラン提案の方向での連携が、最有効テロ対策に違いない。
第2点。後藤健二さんらを忘れまい。
自己責任を宣言しても、結局各方面に影響する。わかっていても、そこに自分だけが報道できる重要対象があれば、引力に抗し難い。ジャーナリストの性(さが)。「脅迫文読み上げを拒否したら首尾一貫したのに」との声も聞くが、そんなことができるのは、人間味、弱さがなく、民衆、子どもの苦難の報道などできない鉄の男だ。
パリの風刺新聞社襲撃事件後、日本では「私はシャルリー」デモはほとんど見当たらなかった。「対岸の表現の自由」だからだろう。報道の自由の重要性が一層身近に、きちんと認識されるようになってほしい。
凶刃凶弾に倒れたジャーナリストたちの記憶を、その時限りにしたくない。彼らの碑もあってよい。7年前ミャンマーで政府軍兵士に射殺された長井健司さんの遺族には、未(いま)だ真相説明も遺品返還もない。今現地は日本企業の進出ラッシュ。政府や関係者は、死者のアフターケアも忘れないでもらいたい。
(元嘉悦大学教授)