北方領土で「自由民主」 「二島返還」下慣らし?
東郷和彦氏が連載記事
ロシアのプーチン大統領訪日を12月に控え、北方領土交渉への「新しいアプローチ」(安倍晋三首相)が取り沙汰されている。大手紙では読売新聞9月23日付「北方領土、2島返還が最低限」「平和条約『4島帰属』前提とせず」、日本経済新聞10月17日付「北方領土に共同統治案」(ともに1面トップ)などの観測記事だ。
これらを菅義偉官房長官が即座に否定した一方で、自民党の機関紙「自由民主」は、「新局面を迎えた北方領土問題」と題する京都産業大学世界問題研究所所長・東郷和彦氏の連載を10月18日号から11月8日号にかけて4回掲載した。
東郷氏は外務省欧亜局長などを務め、2002年のいわゆる「鈴木宗男事件」により退官。事件は国後島の「ムネオハウス」(日本人とロシア人の友好の家)やディーゼル発電施設などロシアと交渉中の北方領土を舞台に起きた汚職事件だが、背景には当時、外務省における田中真紀子外相と外交族の鈴木宗男衆院議員の確執もあった。
鈴木氏、東郷氏らは歯舞、色丹の「二島返還」先行を主張している。ソ連に不法占拠された北方領土について「四島一括返還」を求めた政府の方針とは異なるものだ。「自由民主」に東郷氏の連載が載ることは、「新しいアプローチ」を模索する日露首脳会談の露払いともみえる。
連載タイトルの「新局面」は、日本の立場が弱くなったことも意味する。同紙10月25日号の連載2回、ソ連崩壊後の1993年3月、ロシアのコズイレフ外相が「『まず歯舞・色丹の引き渡しのための協定を結び、それにならって国後・択捉の交渉を行い、四島一括で平和条約を結ぶ』という極秘非公式提案をしてくるが、歯舞・色丹のみで終わるのではないかと言う不信感ゆえに、日本側はこれを受け入れなかった」として、「日本の国力が最高でロシアが最低だったこの時、日本外交は最大のチャンスを逃した」と述べている。
しかし、「チャンス」といっても、当時のロシアは93年10月に最高議会砲撃に至る10月政変、その後のチェチェン紛争など常に政情不安に悩んでいた。
プーチン政権発足後のロシアの国力は上向き、日本は長期不況が尾を引く。11月8日号の最終回で東郷氏は、「どのくらい待てば日本の力が大幅にロシアを上回るか、まったく予見できない」と述べ、「今やる気を見せているロシアから最大限のものを引き出し、ギリギリの『引き分け』合意するのが最善だと考える」と持論を唱えている。
ここで東郷氏は、「歯舞・色丹の引き渡し+国後・択捉についての何らかの合意」に期待するが、後者の合意が「国民が期待していたものより小さいと映った場合は、大きな失望が起きるのではないか」との心配を述べる。しかし、この「心配」にしても前者が既定であるかのような印象だ。それすら定かでないのではないか。領土返還をアテにして採算を度外視した無謀な経済協力をしないよう早めにブレーキを踏む用意をしておくべきである。
解説室長 窪田 伸雄





