介護制度の“限界”


 知人から介護日記の書籍を紹介され、一読した。100歳になる母親を介護している記録である(『そうして、百歳の朝がきた』小野塚久枝著)。3人の兄弟姉妹で協力し、サービスも利用しながらの介護である。介護というと重いイメージが浮かぶが、笑いながら日々を過ごす様子が描かれているのが印象的だった。

 介護の問題は筆者にとっても他人事(ひとごと)ではない。筆者の年代(50代)は働きながら親を介護している人が最も多い世代である。筆者の母親も田舎で1人暮らしをしている。幸い今のところは健康で、実家の手入れなどは近くに住む母の弟妹(筆者にとっては叔父叔母)に手伝ってもらっている。しかし今後どうするか、見通しがあるわけではない。

 一方で、デイケアの仕事に関わっている人からは次のような話も聞いた。要介護認定基準の数字が高い高齢者が一人で暮らしているケースや、朝サービスの車が迎えに行った時には家族はすでに出掛けていて本人が一人で待っている家庭もある。ある家庭では子供が地方に住む高齢の親を引き取ったものの、親は都会の生活になじめず、数カ月で田舎に帰ったという。

 また、介護保険の利用者の増加、認知症患者の増加もあって、財政的な負担は拡大する。そして深刻なヘルパー不足で訪問介護事業者の倒産が急増しているという(東京商工リサーチ)。

 こうした実例を聞きながら、筆者は従来の介護制度の“限界”を感じてしまう。家族にだけ頼ることが難しいのは理解できるが、せめて「自助・共助・公助」のうちの、家族を支える「共助」を強化する政策が必要なのではないか。

 そして、なぜ家族が介護離職まで選択せざるを得ないような困難を抱えるようになってしまったのか。大家族から核家族への変動など幾つか原因があるだろうが、この点も戦後から今日までの家族政策をさかのぼって検証しておく必要があるのではないか。

(誠)