三つの“卒業式”
卒業式シーズンもほぼ終わり、卒業生は入学式や入社式まで、多少の不安を抱えながらも新しい生活に胸をときめかせる時期を迎える。それは春にふさわしい風景だ。
ここ1週間の間に、筆者は三つの“卒業式”を目の当たりにした。最初は孫の卒園式だ。母親に纏(まと)わり付いたり、むずかったりする幼児が多く騒々しかった入園時とは違って、一人ひとり名前を呼ばれて、しっかりと卒園証を受け取る姿を見て、その成長ぶりに驚かされた。
小学校や中学校、高校、そして今や進学率50%を超えた大学まで、卒業式を特徴付けるのは子供(青年)たちの成長だ。勉強や部活の成績に多少の差があっても、皆一緒に旅立ちの時を迎える。でも、そんな卒業式はいつまでも続かない。
もう一つの“卒業式”は、イチロー選手の引退だ。大リーグ選手ながら、そして、昨年5月2日以来、公式戦の出場はなく、今年もオープン戦で極度の不振に陥りながら、東京ドームでの開幕2連戦にスタメン出場。他を圧倒する実績が、そんな晴れ舞台で、あらゆる媒体を通し日米が注目する引退を可能にした。
毎年、プロ野球選手になるのは最大120人(通常は80人前後)。猛烈に狭き門だが、選手生活の終わり方はさまざまだ。わずか2、3年でひっそりとユニホームを脱ぐ選手もいる。実績がものをいう実社会の現実だ。それでも、人生が終わるわけではない。次のキャリアに挑戦できるし、そこでの終幕はもっと華々しくなるかもしれない。
もう一つ目撃したのは知人の人生の卒業式だ。いつも人に尽くすのが趣味のような先輩で、社会的な地位があるわけではないが、2人の子供が立派に育ち(孫もいて)、「お父さんの子供でよかった。お父さんのように生きていきたい」と語っていた。人生の“引き継ぎ式”のようなその場に参列して、人の生涯の実績とは何なのか、改めて考えさせられた。
(武)