「なぜ、学習するのか」


 最近、ふと、中学校1年生の最初の社会科授業を思い出した。

 「なぜ、学習するのか」

 先生が教室に入るなり黒板に大書したのが、この8文字だった。何が始まるのか分からず、きょとんとしている生徒たちに対し、先生は、ほとんど何の予備知識も与えないまま、端の列から一人ひとりの考えを聞き始めた。

 十人十色の答えが出たが、自分が何を話したかを含めて具体的な内容は記憶に残っていない。ただ、それまで考えたこともなかった問いだったので、徐々に自分の順が迫り緊張が高まる中で、懸命に考えをまとめたことは、はっきりと覚えている。

 この先生は、憲法の国民主権を教えるのに「天皇陛下はわいらの子分や」と言うくらい左向きだったが、教科書の内容をまとめて板書するだけの普通の先生より授業は面白かった。

 筆者が当時、頭を悩ませた「なぜ、学習するのか」という問いは、実は簡単な代物ではなかった。その2年前、1968年の夏から秋にかけて「学習」を学問や研究に換えてその道の最高権威である東大教授に問い掛けられたが、多くの答えは学生たちを納得させるに至らなかった。

 当時流行の左翼思想を持つノンセクトの学生たちが新左翼各セクトと全学共闘会議(全共闘)を結成し、数カ月にわたって安田講堂を占拠しても学生の支持を失わなかったのは、知の最高権威のそんな実情が暴かれたためなのだろう。

 しかし、教授たちを鋭く批判し「東大解体」や「自己批判」まで叫び始めた全共闘も、誰もが納得できる解体後のビジョンや自己批判の基準を示すことができなかった。安田講堂が機動隊員8500人の2日間にわたる決死的な奮闘によって陥落したのは69年1月19日。半世紀が過ぎ去り、左翼主導の学生運動は衰退して久しいが、その問い掛けは残されたままだ。

(武)