限りがない親としての学び


 新年を迎え、「親」歴32年目が始まった。昨年、末の娘も就職して子育てもやっと一段落、といきたいところだが、そうは問屋が卸さない。5人の子供はそれぞれ大なり小なりの問題を抱えていて、一日たりとも心の休まる日がないというのが実情だ。

 昨年末に聞けなかった「教育再生の根本問題」に関する世日クラブ講演会の講演要旨(12月21日付)を読んでいて、一番心に残ったのが、次の最後の部分だ。

 「子供を生んだら親になるのではない。『親になる』ということについて学んでいく『親になるための学び』が大事だ。」

 その通りだとは思うが、では自分は「親になる」ために何を学んできたのかと思い返すと、はなはだ心もとない。実際的には「親としての学び」を重ねていくしかないのだろうと思う。

 よく「親の背中を見て子は育つ」と言われるが、筆者自身、親からああしろ、こうしろと言われたことはなく、土曜日曜はもとより正月や盆にも忙しく働く両親の姿を見て育ってきたこともあって、どうも自分が仕事に専心していれば子供はそれなりに育っていくのだろうという、身勝手な思い込みがあったようだ。

 もちろん、そんな父親を理解する子たちもいるが、いろいろ話したいことがあっても、家では寝るかテレビを見るかしかしない父親の姿に不満を募らせ、いつしか心の壁ができてしまった子たちもいる。同じ親から生まれた兄弟姉妹でも、その反応は千差万別だ。

 ここに子育ての最大の難しさがある。同じ学校に通っても、すぐに適応できる子もいれば、なかなか溶け込めない子もいる。悩みを抱える時期も事柄もみんな違っている。親として、その子が一番欲している時に、最も適切な言葉を語ってあげたいのは山々だが、その時を逃し、大変な問題に発展するケースもある。

 「親としての学び」に限りはないようだ。

(武)