平成の子育てママたち


 師走を迎え、忘年会では平成30年の思い出話に花が咲く。昭和最後の年に結婚した筆者にとって、平成は家族の始まりである。

 出産・育児の真っ只中(ただなか)、1991年にバブル崩壊。ママさんの再就職は容易ではなく、保育所入所基準も今より厳しいものだった。よほどの事情がない限り、保育所に預けて働くという人は筆者の周りにはいなかった。

 ちまたでは育児不安が言われ始め、当時恵泉女学園大学で教えていた、発達心理学の大日向雅美氏が母性神話を唱え始めた頃。94年、子育てママのタウン情報誌『ままとんきっず』第1号が誕生した。

 子育て中の5人のママたちが、当事者目線で子育てに役立つ情報をビジュアルに詰め込んだ玄人はだしの情報誌は衝撃だった。

 「みんなで共同子育てを」と、自主保育の子育てサークルがあちこちに立ち上がったのもこの頃である。筆者が関わった子育てサークルは、1歳~就学前の子供たちが十数人、異年齢の交流の場は一人っ子にはありがたい環境だった。市内の公園を利用し、春は桜とトン汁、秋は梨狩りや銀杏(ぎんなん)拾い、冬は枯れ枝を集めての焼き芋作り。自然の気を浴びながら、親子で仲間と過ごした至福の瞬間(とき)だった。

 当時、互いの子供を共同で見合う「共同養育」の環境をママたちの自主的努力と知恵でつくり上げていたわけで、子育てママが地域で輝いていた時代だった。

 平成が進むにつれて、仕事と家庭の両立支援が広がると、活躍の場は地域から職場に移っていった。今、平日の公園は実に静かである。

 平成の30年で出生数は125万人から91万6千人に激減。子供が保育所で過ごすようになった分、地域のつながりが減った。公園を舞台に子育てママの「公園デビュー」も懐かしい平成の一風景である。(光)