子供を愛せない母親
2016年度、児童虐待で77人が亡くなったという。虐待のニュースを耳にするたびに、祖母が生前よく口にしていた言葉を思い出す。
「自分のお腹(なか)を痛めて産んだ子供を殺すとは、犬畜生にも劣る」
明治生まれで大家族の中で育った祖母らしく、表現はきつい。しかし、子供のためなら、自分の命を犠牲にすることもいとわないのが母親であるとの思いは、今の時代でも多くの日本人が共有するものだろう。
その一方で、筆者は最近取材した女性の小児外科医から聞いた言葉も、祖母の言葉と同じくらいの重みを持って心に残っている。
「『自分の産んだ子供がかわいく思えない』と、相談に来る母親が珍しくない」
出産すると、自動的に母性のスイッチが入り、赤ちゃんを愛(いと)おしく感じるのかと思っていたが、スイッチが入らない女性が増えているということか。動物園で飼育係に育てられたサルに“育児放棄”するケースが少なくないことはよく知られている。
「遺伝子の働きは環境によって変わる」。宇宙飛行士の山崎直子さんは講演の中で、こう語っていた。宇宙ステーションで植物を育てると、地球上とは違った成長を見せるという。興味深い話だったので、調べてみると、ざっくり説明すれば、次のようなメカニズムらしい。
遺伝子の働き方に影響を与える環境は、空気や温度などの自然環境だけでなく、衣食住やストレスなどの社会環境も含まれる。遺伝子のON・OFFを決める仕組みを「エピゲノム」と言うが、その状態は環境の影響で変わり、人間の病気にも深く関わっているというのだ。
「母性にスイッチが入らない」という表現が生命科学的に正しいかどうかは分からない。しかし、児童虐待の深刻化を考える場合、ストレスなど生活環境が人間の本能的な部分にまで影響を与えているという視点は無視できないのではないか。(森)