方言よ、消えるな!


 東北にある筆者の実家には筆者の父、兄夫婦、そしてその長男夫婦と3歳になる娘の4世代が住んでいる。所用で、実家を訪れた時、かわいい盛りの甥(おい)の長女と遊んだが、そのおしゃべりにほとんど訛りがないことに気づいた。標準語なんて、まったくしゃべらなかった筆者の子供時代と大違いだ。

 東京に戻る新幹線を待つ間、駅近くの喫茶店に入った。若い女性店員が見事な標準語をしゃべった。年を追う毎に、故郷の若者から東北弁を聞くことが少なくなっている。

 だが、故郷で耳にする標準語には、いくつになっても違和感を覚える。東京に戻って同じ県出身の知人にその話をすると、「うちの娘は最近、方言をしゃべるようになった」と、意外な言葉が返ってきた。「どうして?」と、筆者が驚くと、「昨年春、就職して、高齢者と接するようになったからだ」と解説した。その娘さんの職業は介護士だという。「なるほどな」と、すっかり納得してしまった。

 東京近辺に住む小中学時代の同級生たちと、年に1度、同級会を開くが、その時、筆者は出席者から必ず言われることがある。「お前の、その古典的東北弁はいつになっても変わらない」というのだ。

 筆者の方言は、忙しい母に代わって、小さい頃から育ててくれた祖母仕込みで、人格の芯まで染みこんでいる。だから、同郷の同年代の人間でさえ滅多(めった)に耳にしない言葉も、今もポンポン出てくる。

 筆者の友人の娘さんのように、成人近くになっても接する高齢者の方言に影響されるとすれば、小さい時から、方言を話す高齢者と接する時間を増やせば、方言は次世代に伝えることができるはずだ。だから、年配者には、若者に対して、積極的に方言で語りかけてほしいのだが、筆者の父と同居する甥の娘が方言をしゃべらないのは2人のコミュニケーションが少ないからなのか、と気になった。(清)