リビングウィルと終活
経済産業省ヘルスケア産業課課長の江崎禎英さんの講演を聞く機会があった。テーマは「生涯現役社会の構築に向けて」。その中で、会場に驚きの声が漏れたのは、人生の最期の3日間に、生涯医療費の30%が投入されているとの数字が出た時だった。「スパゲッティ症候群」という言葉がある。延命のため、気道チューブや導尿バルーン、サチュレーションモニターなど、体中にチューブやセンサーが取り付けられて、まるでスパゲッティのような状態で死ぬことをいう。
高齢者への延命措置がどれほどの意味があるのか、と言ってもすぐには納得できない人が多いかもしれない。しかし、筆者のように、比較的健康体で大病をしたことのない人間が終末期に病院で延命措置を長く続けたら、きっと生涯医療費の大半はそこに費やされることになる。そんなお金を掛けなくても、自宅で自然に死を迎えた方がどれほど幸せか。
経産省の課長がなぜ医療費の話をしたかと言えば、国の経済・産業の発展のためには、お金が使われることはいいことだが、もっと意味のある使い方があると言いたかったのだ。寿命が尽きていると思われる高齢者の延命に使うお金を、例えば病気の予防や健康寿命を伸ばすために使ったら、本人はもとより社会も幸せになれるはずだという考えには説得力がある。
だが、どんなに努力して健康寿命を伸ばしても、死は誰にでもやって来る。その宿命を背負った人間の終末期医療費を減らすには、延命せずに臨終を迎えたいという「リビングウィル」(生前の意思)を明確にする人が増えなくてはならず、それには若い時から死について考えさせる教育がカギとなる。
超高齢社会を迎え、「終活」という言葉がはやっているが、どんな死を迎えたいのかという覚悟はその人の生き方に左右されるとすれば、高齢になってから終活していては手遅れということなのだろう。(森)