トイレ論争
米国で起きているトイレ論争の報道を聞いて、私が通っていた中学校の「便所」を思い出した。
トイレ論争とは、体と心の「性」が一致しないトランスジェンダーは、どちらの性のトイレや更衣室を使うべきかという悩ましい問題だ。ある州が、生まれた時の体の性に合わせるべきだとの法律を制定したところ、連邦政府がこの法律は「差別」だとして、裁判に訴えたため、論争は全米に拡大している。
私は「自分が通った中学の便所だったら、こんな問題は起きないだろうな」と思ったのだ。男女に分かれていなかったからだ。
私は東北の山村地帯の出身。すでに取り壊されてしまったが、中学時代の校舎は戦前に建てられた木造2階建て。その校舎と渡り廊下で繋がっていた便所には右側に小便用、左側に大便用がずらりと並んでいた。もちろん水洗ではない。
今の中学生に話せば「信じられない!」と呆れるだろうが、事実である。だから、トランスジェンダーがいたとしても、トイレ論争は起きようがなかった。だからといって、トイレを男女共用にしろと言いたいのではない。ただ、そんな時代もあったというだけである。
ある高校教師と会った時、「もしトランスジェンダーの生徒がいたらどうするか」という話題になった。私は「多目的トイレをつくるしかないのかな」と話したら、その教師は「それは絶対ダメ!」と強く否定した。なぜなら、男女両方が入ることができるトイレでは、何が起きるか、目に見えているという。私の高校時代では考えられないことだ。結局、「教師用トイレを使わせるしかない」ということに、話は落ち着いた。
更衣室でも、一人別の場所で着替えさせればいいだろうが、銭湯や温泉はどうするのか。ここまで書いて、子供の頃、男女混浴の温泉がめずらしくなかったことを思い出した。(宮)