コロナ収束で笑顔戻る陰で、交流が生きる力に
新型コロナの感染拡大が深刻だった頃、故郷に住む姉(70)が頻繁に電話をかけてきた。両親とも泉下の人となると、「何でも話せるのは姉弟だけ。寂しい」と言って、時には受話器から涙声が聞こえてくることもあった。
生来の心配性から、感染が怖くて自宅にこもっているという。いわゆる“コロナうつ”で精神科クリニックにも通っていた。東京に比べれば、地方の感染はそれほどでもないのにな、と首をかしげつつも、たった一人の姉のために何とか力になりたいと思った。しかし、離れて暮らしていては、他人には言えない心の内を聞いてあげることくらいしかできない。
その姉からの電話が最近、パタッとやんだ。コロナが収まって、うつが改善したのだろうと思ったが、ちょっと気になるので、こちらから電話してみた。案の定、「ご無沙汰して、ごめんね」と、明るい声が返ってきた。
友人と会ったり、夫とドライブしたり、買い物に出掛けたりして、外出が増え、心を覆っていた曇が晴れたのだという。人との交流が生きる力になるとはよく言われるが、姉の変わりようを目の当たりにして、その重要さを改めて思った。
介護施設に勤める知り合いがこんなことを言っていた。入所者にとって、家族との面会があるかないかで、生きる力が違う。コロナ禍で長い間、面会が許されず、気の毒だった。リモート面会などの工夫はしたが、じかに会って手を握りながら語り合うのとでは、やはり違うという。
一方で、コロナ禍前から面会に来る家族を持たない入所者もいる。パンデミックは皮肉にも、すべての入所者を〝平等〝にしてしまったとも言える。
感染状況が改善し、高齢者施設での面会が再開されている。その時を首を長くして待っていた入所者に笑顔が戻るのは喜ばしいが、コロナが去っても誰も面会に来ない入所者のことを思うと、複雑な心境になる。(森)