最後の噺家・柳家小三治、人間国宝の生き方
強面できっぷの良い江戸弁と飄々(ひょうひょう)とした語り口調の噺家(はなしか)がまた一人この世を去った。面白い、客受けする落語家は数多(あまた)いるけれど、正統派の噺家は柳家小三治しか残っていない、と落語ファンから言われていた。
三遊亭圓楽、立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵に交ざって“四天王”と呼ばれることが多かった。筆者が学生時代に耳にし、テレビで見た頃は、稽古熱心で猛烈な勢いで芸に磨きが掛かり、先輩たちを10人抜きで真打に昇進、脂の乗り切った頃だった。
柳家小さん門下で鍛えられたが、師匠の小さんに稽古をしてもらったことはほとんどないという。「おまえの師匠だから、俺の芸を見て盗め」というのが口癖。その半面「他人の芸を盗むのは泥棒だ。きちんとあいさつし、稽古をつけてもらいなさい」と言われていたという。小三治自身は「盗め」と言われたり「泥棒」と言われたり、どっちなんだ、そんな中で複雑な小三治という人間が形成された、と冗談交じりで語っている。
師匠の小さんは「人としての道はきちんと守れ、修行の前座時代は兄弟子の指導をきちんと聞き、人間磨きをしろと口を酸っぱくして語っていたという。弟子に対しても、「こうでなくちゃいけない」と語り、人生訓や宗旨を押し付けることは無かった。「ギャグを盛り込んだり、話の筋を変えたりしちゃいけない。落語はたんたんと語るだけでも、面白いもの、無理をして客を笑わせることはない」というのが小さんの持論。
小三治も無理してギャグを盛り込んだりはしない。間と情景描写、登場人物の個性で滑稽話に花を添える。
バイク、スキー、ボウリング、俳句、オーディオ、麻雀、ゴルフ…。何事にも深くのめり込む。芸だけでなく趣味にも「求道者」の一面を持ち合わせていた。師匠の小さん、大阪落語の桂米朝に次いで人間国宝になった生き方に活(い)かされたのだろう。(和)