菅官房長官の目指す自助・共助・公助の国造り


 自民党総裁選の候補者3人の公約を聞いて、ハッとしたのが菅官房長官の「目指す社会像は、自助・共助・公助」という一言だった。この言葉を久しぶりに耳にした気がしたからだ。

 菅氏は、最初は自分で、そして家族や地域が互いに助け合い、それができなかったら国が守る、そういう信頼される国造りを目指すという。これに対して「政府の責任放棄だ」と批判する声もあったが、この考え方自体は、一人の国民としては当たり前の事と思える。

 自助・共助・公助は、防災で重要視される。災害が発生した時、まず自分と家族の身の安全を守り、地域やコミュニティーの人たちと協力し合い、さらに自治体による救助・支援がある。

 また、社会保障においても以前から語られてきた言葉だ。2006年の政府の報告書では、「我が国の福祉社会は、自助、共助、公助の適切な組み合わせによって形づくられるべきものであり、…全ての国民が社会的、経済的、精神的な自立を図る観点から、①自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという『自助』を基本として、②これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完し、③その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、…必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などを『公助』として位置付けることが適切である」と述べている(「社会保障の在り方に関する懇談会」報告書)。

 自民党は1980年ごろに出した『日本型福祉社会』という研究報告書の中でも、財政の負担が大きいイギリスやスウェーデン型の福祉社会ではなく、個人の自助努力と共に、家庭や地域、企業が福祉の重要な担い手となる日本型の福祉社会を目指すべきだと述べている。国の福祉に頼り過ぎることで国民のモラルが後退することへの懸念もあったようだ。

 菅氏の発言には、こうした長年議論されてきた考え方が基本にあると思われる。

(誠)