安倍首相に受け継がれた政治の信念「結果責任」


 筆者が小中学生だった頃、首相といえばほとんどの期間、佐藤栄作首相だった。安倍晋三首相の大叔父だ。当時も多くの政治案件があって与野党が激しく対立したのだろうが、特に小学時代は全く関心外。高学年の時に大学紛争の嵐が全国で吹き荒れていたはずだが、覚えているのは東大の安田講堂が集中放“水”を浴びている場面ぐらいだ。

 田舎町だったせいもあるが、その頃、政治は金持ちや知識人がするものというイメージだった。町長は伝統的な造り酒屋の跡取りで後に国会議員や県知事になり、隣町の町長は土建屋の社長だった。NHKの国会中継をまともに見ているのは近所の友達の爺(じい)さん(元校長か教頭だった)ぐらい。その先生はテレビを見ながら、それはこうだ、ああだと独りで呟(つぶや)いていた。

 家が商売をしていたので、比較的、人が集まることが多かったが、政治の話が漏れ聞こえることはなかった。また、選挙になると、個別訪問のために旅費を出してくれるからと、母がいつも汽車に乗って女学校の友達に会いに行っていた。そして母は時々、「どうせ自民党が当選するのだから」と言って、他の政党に投票したりしていた。

 子供心に残った政治とはそんなものだった。そんなことを思い起こすたびに、子供の頃から生き馬の目を抜くような政治の現場で父や母が働く姿を見てきた政治家2世は、やはり政治的感性の出発点が違うことを痛感する。世襲議員が多くなるのもある面、当然であるわけだ。

 とりわけ安倍首相は幼い頃から、安保紛争時に祖父・岸信介首相の前でデモ隊をまねて「あんぽはんた~い」と叫んでじゃれたり、3回目の選挙で落選した父・晋太郎氏が自宅の座敷に入るや否や泣き崩れる姿を目の当たりにしたりしていた政界のサラブレッドだった。政治家は「結果責任」という岸元首相から受け継いだ信念を理由に最長政権に終止符を打つのもまた、安倍氏らしい終わり方だ。

(武)