社会通念を一変させた、特別な夏の「自粛葬」
例年、梅雨明けに百名山に登るのだが、7月末まで異例の長梅雨が続いた。8月に入ると、県をまたぐ移動、外出自粛のムードに押され、結局お盆の山行も断念した。今年は夏山に一度も登ることなく終わる、「特別な夏」となった。
お盆の風景も今年はいつもと違っていた。お盆前の新幹線乗車率は軒並み7割から8割減。帰省のあいさつ代わりに、田舎の祖父母と孫がスカイプ通話をする微笑(ほほえ)ましい光景が見られた。
一方、お盆の法要自粛に危機感を感じた一部の寺社がオンライン法要、オンライン葬儀といった新サービスを始めるようになった。オンライン墓参りは聞いていたが、オンライン葬儀は初めてだ。
これまでの常識や社会通念を簡単に壊してしまう、コロナ社会の本当の怖さを思った。実際、コロナと熱中症のリスクに配慮して、大事な人が亡くなったことを親族や身近な人に伝えず、家族だけで葬儀を執り行う「自粛葬」が広がりを見せた。
実は筆者もコロナ禍の葬送を経験した。92歳で亡くなった義父の葬儀をどこまで知らせるべきか。どう執り行うか、苦慮した。結局、ごく内輪で静かに執り行い、改めてお別れの会を持つことになった。
コロナ禍で始まったオンラインによる葬儀や法要が、コロナ後も選択肢の一つとして残っていくのか、今は分からない。
ただ、子や孫が海外で暮らしているという人は多い。筆者の息子も祖父母や親族の葬儀に一度も参列できていない。そう考えるとオンライン葬儀も選択肢の一つとしてあってもいいのかもしれない。
とは言っても、葬儀や法要の簡略化は、日本の祖霊信仰そのものを危うくさせる。簡素な自粛葬が「特別な夏」の出来事で終わればいいが、「出向く必要がないから楽」といった安易な方向に流れないことを願っている。
(光)