コロナ禍は世代交代の契機になるか?


 新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの日常を大きく変えた。最も目に付くのがインターネットを通じた人間関係が多様化したことだ。コロナ以前もインターネットはメールやチャット、写真や動画の交換を通じ、プライベートやビジネス上の人間関係をつくる重要な手段となってきたが、同じ家に住む家族以外の人との対面や濃厚接触が忌避されるコロナ禍の中で、疑似対面ツールとしての機能がより重宝されるようになった。

 「在宅勤務」や「リモートワーク」においても、ラインなどの「ビデオ通話」やズームなどを使った「ウェブ(テレビ)会議」は必須の手段となっており、休校措置の小中高校生にとっては、一部学校や学習塾などの「オンライン授業(指導)」が効果を挙げている。また、施設の整う大学では4月から本格的にオンライン授業が導入されており、緊急事態宣言解除後も慎重に対面授業への移行を進めている段階だという。

 このようなインターネットの活用は、コロナ禍によって加速されたにすぎず、コロナ後に対面活動が可能になっても、重要な役割を果たすのだそうだ。

 とはいえ、いまだにSNSになじめず、スマホを持ちながら電話とメールとニュース閲覧ぐらいの機能しか使っていない筆者にとっては、同じようにインターネットで映像と音声を双方向でやりとりすることを、どうしてある時は「ビデオ」通話、ある時は「ウェブ(テレビ)」会議、ある時は「オンライン」授業と言い換えるのかなど、入り口で戸惑うことが少なくない。

 今回のコロナ禍では、あれだけICT(情報通信技術)化促進が叫ばれていた行政や公教育の分野で、その環境整備とシステム構築に致命的な遅れがあることも明らかになった。掛け声だけで実質が伴わなかった一因には、世代的な背景を持つ意識の問題もあるのではないだろうか。コロナ禍は、世代交代の契機になるかもしれない。

(武)