病床の父の手は人生を語る


 大正15年生まれの父が1月中旬、脳梗塞で倒れた。入院したが、病状は軽く、少しろれつが回らない程度で、退院は時間の問題だろう、と共に暮らす兄が知らせてきた。

 それを聞いて安心していた矢先、再び兄から電話が入った。入院中にまた脳梗塞が起きたという。今度は重く、カテーテル治療で脳の血流は回復したものの、右半身が麻痺(まひ)。回復は難しいという。

 1月末、父を見舞いに、実家のある東北に行った。兄と姉も病院に集まった。動かない右手を、兄弟で代わる代わるマッサージすると、父の目が開いた。子供たちがいることを認識しているようには思えなかったが、何かは伝わったようだ。

 父の手をまじまじと見るのは初めてのことだった。ゴツゴツと太い指に驚いた。それを口にすると、姉も「そうなのよ。93歳にもなってね」と頷(うなず)いた。農作業をはじめ野良仕事で酷使し続けてきたことを物語っていた。手は人生を語る、というがまさにその通りだった。

 だいぶ前に兄嫁から「手がツルツルしている」と言われたことがある。人から褒められるような手ではまったくないのだが、野外での肉体労働に明け暮れる東北の人間からすれば、私のような無骨な手でも苦労知らずの手に見えたのだろう。

 父の手を擦(さす)りながら、87歳で他界した母の手を思い出した。「はたらけどはたらけど……楽にならざりぢつと手を見る」と、石川啄木の歌集「一握の砂」に出てくるような貧しさに耐えた手ではなかったが、農業がまだ機械化される時代から酷使し続け、指の関節が変形し曲がっていた。

 父が救急車で運ばれた病院から、長期介護可能な医療施設に移った。4年前、母を看(み)取った施設だ。また父の手を擦りに行こうと思っていたら、2月末から新型コロナウイルス対策で、すべての見舞客を断ることにしたという。感染拡大が一日でも早く終息するのを祈っている。

(森)