【上昇気流】小中学校の国語の教科書で文学作品の魅力に開眼した
小中学校の国語の教科書で文学作品の魅力に開眼した。と書くと気恥ずかしいが、気流子が読書をするきっかけは、そうだった。学校の授業は、その意味で多くの作家と作品を教えてくれた。
夏目漱石や芥川龍之介などだが、逆に森鴎外などはその文章になじめずに長い間読むのを敬遠していた。文章の魅力を理解するには、時間が必要だったのだろうと今では思う。
俳句や短歌、詩の世界を開いてくれたのも、教科書だった。特に、春を詠んだ三好達治の「あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ」と始まる「甃(いし)のうへ」は典雅な古文調の言葉がリズミカルな響きで心に染みた。
桜の開花時期には、この詩が絵画のように浮かんでくる。教科書の詩には、教訓的と感じたものもある。例えば、高村光太郎の「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という言葉に始まる短い詩「道程」。
教訓的に感じたのは、その一節がよく教室の壁に額装されて掛けられていたためである。青年の野心に満ちた宣言のような詩は、青少年には共感しやすい。「道程」の原詩は100行を超えるものだったが、それを縮めたのが現在の詩。元の詩を読むと、自然という宇宙の理(ことわり)と超えなければならない彫刻の大家だった父との葛藤がつづられているのが分かる。
最近、ウクライナの「人道回廊」という言葉に触れて「道程」が思い浮かんだ。光太郎は、1883(明治16)年のきょうが誕生日である。