【上昇気流】「三越にはストもございます」。そんな流行語が70年前のきょう、生まれた


銀座四丁目交差点

 「三越にはストもございます」。そんな流行語が70年前のきょう、生まれた。昭和26年12月18日、三越百貨店で全三越労組が従業員6人の解雇に反対し、東京の3店舗で48時間ストライキを打った。日本の百貨店史上、初のストだった。

 解雇されたのは賃上げ闘争で職場規則を破った組合員で、支援する共産党系団体が2000人を動員、ピケを張って従業員も客も入店させなかった。これを契機に三越に新労組がつくられ、従業員の大半は移籍した。会社と全三越労組との戦いは8年に及んだ。

 こんな風景が戦後、至る所で見られた。共産系労組は資本家の打倒を目指し、賃金闘争で会社が潰(つぶ)れても厭わなかった。従業員は生きるために共産排除に立ち上がった。

 日本労働組合総連合会(連合)の芳野友子会長はJAM(ものづくり産業労働組合)出身だが、傘下の金属機械系の大手労組も例外ではない。例えば、ニコン労組は昭和40年に共産系の日本光学労組からの脱退者で結成された。

 平成元年に連合が誕生すると、共産系は全国労働組合総連合(全労連)をつくり、選挙で共産党支援に狂奔した。この構図は令和に続く。

 芳野会長は東京新聞のインタビューで「連合と共産とはイデオロギー対決の歴史だ。共産主義と私たちの民主主義は決定的に違う」(16日付)と断じている。「立憲民主党には共産党もございます」は真っ平御免というわけだ。先の総選挙での民意もそうだった。