原爆の子の像、世界に広げたい
核の年の暮に思う
「核」に明け暮れた年だった。
北朝鮮の核・ミサイル開発が急加速し、領導者様の強がり笑いとやせた民衆の心中の嘆きを積んだミサイルが、勝手放題に日本の上空や周辺を飛んだ。
一方、国連で核兵器禁止条約が122カ国の賛成で成立した。それに大いに貢献したとして、国際的なNGOの連合体、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した。2007年にオーストラリアで発足し、101カ国の468団体(10月現在)参加している連合体。その中に、フランスのヒロシマ・ナガサキ研究所の名もある。1982年に日本人女性、ミホ・シボさんが発足させ、核廃絶の草の根運動を続けてきた。
フランスは東西冷戦の中で独自の核戦略を堅持し、反核運動不毛の地と言われた。もともと反核と無縁だったミホさんが、仏人男性と結婚してパリ郊外に住み、核兵器の怖さなど全く知らないフランスの子供たちを見て、被爆の惨状を知らせる孤独で困難な運動にのめり込んだ。講演はもちろん、広島・長崎ツアーを組織したり、仏テレビで日本の被爆者と原爆を投下した米爆撃機搭乗員の会談の場を作ったりもした。中で最も力を注いだのが反核教育で、その教育の中心が「サダコの折り鶴」だった。千羽鶴を折りながら12歳で亡くなった被爆少女、佐々木禎子さんをしのび、各地で子供たちが鶴を折った。「サダコ」の名が、日本以上にフランスの青少年に浸透しつつあると言われたほどだった。80年代、パリ駐在記者だった私は、彼女の母親目線の地道な活動に強く印象付けられた。
今日ICANの国別参加団体数が最も多いのは発祥の地オーストラリアだが、フランスは48で2番目、核保有5大国の中ではずぬけて多い。ICANよりずっと前からの、ミホさんの活動の結果とも言えよう。
ICANは左派色が強い。日本から出ている国際運営委員も、「ピースボート」共同代表の川崎哲氏だ。今月10日の授賞式の直前に、朝日新聞は同氏への長大なインタビュー記事を掲載したが、その記事でも、「米国の核の傘に依存し、米国になびいて、核兵器禁止条約に不参加の日本政府」を強く批判する一方、北朝鮮の核への直接的非難はなかった。
「北朝鮮より反安倍」というのは賛同し難い。
私はそれより、ミホさんと折り鶴の連想から、禎子さんの死を契機に広島に建立された原爆の子の像(千羽鶴の像)を思った。あの像を、平和希求のシンボルとして、世界に建てられないだろうか。現在は米国のシアトル市、サンタフェ市に、類似の姉妹像と呼べるものが建っているぐらいだ。また今年、禎子さんが折った鶴の1羽が、米ユタ州の旧原爆部隊訓練地跡にある博物館に寄贈された。だが、姉妹像も含め、原爆の子の像の輪をもっともっと広げたい。
またぞろ、「被害者面をするな」と言われるかもしれない。反米の像と疑う米国人もまだいるかもしれない。だから、碑文には誇大な数字も、事実に反する政治的説明も記さない。「世界の平和をきずくため」という広島の原爆の子の像の碑文に加え、禎子さんのことを短く記す程度とする。
468団体が働き掛ければ、世界に幾つか、いや数十の「原爆の子」が建てられるはず。ICANが平和賞の賞金の一部を建立費用に回せるなら、使途として最適だろう。
慰安婦少女像に対抗するわけでもないが、“歴史戦政治”と別次元の原爆の子の像こそ、広く22世紀までも残したい。「核」の年末の願い、(特にICANへの)提言である。
(元嘉悦大学教授)