問われる米国の倫理基準

米コラムニスト マイケル・ガーソン

セクハラへの意識が変化
使命果たさない宗教右派

マイケル・ガーソン

 驚くべきことが日常的に起きている今の政界でも、これほど意表を突かれるようなことはあまりない。トランプ大統領が就任し、米国人のセクハラへの態度が、急速に、しかも大きく変化しているのだ。

 大統領によって国家の品格というものが決まり、上からの影響で、社会がどの程度の倫理観なら受け入れ可能かが変わってくると思っている人はいると思う。私自身もそうだ。しかし、女性を食い物にしたことを自慢げに話し、十数人にセクハラ行為をしたと非難され、それを無視すらするような大統領であるにもかかわらず、セクハラをめぐる大変革が社会の中で起きている。

 これを見て、国家の道徳的力学がいかに複雑かを思い出す。これは、保守派―少なくとも伝統的保守主義を何らかのかたちで支持する保守派でも―にとっては驚くようなことではないはずだ。米国は大きな国であり、国民の考え方をまとめ上げる力を持つ。だが、政治が届くのは、深い海の光が届く所までだ。希望の兆しはある。道徳・倫理的基準が、政界、エンターテインメント業界、マスコミ界のリーダーらの影響をほとんど受けていないことだ。ただし、この基準が、悪事を戒めるために使われる場合は別だ。

◇社会的規範は急速に

 社会的変化がどのように進んでいくものなのかを私たちは今、目の当たりにしている。その期間も短くなっている。何かを提唱しても、目に見える効果が出始めるまでには長い時間がかかるものだ。そして気が付くと、あり得ないと思っていたことが、当たり前のことのようになっている。これと同じことが、何年もかけて、同性婚運動で起きた。最初は、非常識で、異様で、受け入れられることはないと思われていたものが、大部分の米国人に、公正なことと見なされるようになった。オバマ大統領を含む政治家は流れに乗り遅れ、この新たな社会的合意に追い付かなければならなかったほどだ。

 セクハラに対する反乱は、数週間で起きた。長い間、有力者として特権を享受してきた男たちが、人としての尊厳を踏みにじる悪事を働いていたことが白日の下にさらされた。ビル・オライリー、ハーベイ・ワインスタイン、チャーリー・ローズ氏らの残忍で、気味の悪い行為が暴露された。その内容は、被害を受けたという人々がすでに明らかにしている。倫理の照明のスイッチが入れられた。今や怒りは、当然の反応だが、誰の目にも明らかだ。

 このような社会的規範の急速な変化に、社会改革推進者らは勇気づけられているはずだ。行動と考え方は、直線的に変化するものではない。光が当たり、明らかになることで、文化が依って立つ前提と進む方向も変わりうる。死刑をめぐる運動もそのような段階に差し掛かっているようだ。対照的に銃規制はいつまでも変わらない。しかし、歴史を見れば、悲観することはない。

 セクハラに関する米国の倫理基準は今、かなり高まっている。だが重要なのは、どのようにしてここまで来たかだ。保守派はよく、道徳的相対主義がはびこれば、米国人は道徳的な判断ができなくなると言う。しかし、人というものは心の奥底では、規則や規範が必要だということが分かっている。他者の権利や尊厳というものに対する共感や尊重を基に形成された人格は、生活のあらゆる場面に必要不可欠なものだ。職場もその例外ではない。

◇女性の尊重は二の次

 この道徳的規範の必要性が切迫していることを訴え始めたのは誰だろう。「家庭の価値」を訴える人々ではない。ビリー・グラハム氏の息子、フランクリン・グラハム氏は、アラバマ州の共和党上院議員選候補ロイ・ムーア氏がセクハラ行為を行ったという信憑(しんぴょう)性の高い証言があるにもかかわらず、ムーア氏支持を決めた。「ワシントンの偽善に際限はない。ロイ・ムーア氏を非難する人々は多いが、ムーア氏がしたとされていることよりも、はるかにひどいことをしている人々が、ムーア氏を非難している」とフランクリン氏は述べている。

 宗教右派のフェミニスト批判すべてを正当として支持することにしたのだろうか。キリスト教の教義が求めているように、不公正や搾取に反対するのでなく、政治的権力のために男性による抑圧を支持した。これは、偽善どころの話ではない。強面で、人の話を聞かない老人への支持表明だ。宗教の衣をまとった白人男性支配のイデオロギーだ。

 これが、宗教保守の一部が低迷してしまった理由だ。

 保守派は、この事態に対して態度を明確にすべきであり、誠意を示すべきだ。近年強まっている、女性と子供を道徳的な観点から尊重するよう求める運動は主にフェミニズムから来たものであり、「家庭の価値」運動から来たものではない。今回の場合、宗教右派はほとんどが傍観し、障害にすらなった。つまり、宗教右派にとって女性の尊重は二の次であり、ほかの政治的目的が第一になってしまったということだ。

 米国は道徳的刷新の強力な発信源となってきた。宗教右派の多くが、その使命を果たさずにいることは不名誉であり、恥ずべきことだ。

(11月25日)